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2017年1月30日月曜日

大雪で苦情に一考

 大雪で彦根市や滋賀県に苦情の電話が相次いだ件について、小生の思いを以下で述べたい。苦情の内容は前記の記事の通りだが、小生も24日に長浜から豊郷までのエリア、25日に彦根市内を車で走り、確かにデコボコ道や車の立ち往生で、移動するのに普段の数倍の時間を要したが、数十年に一度の大雪のため「仕方ない」との思いのみで、行政に苦情をするという発想はまったく起こらなかった◆しかし市や県に確認したところ、担当課には電話が鳴りっぱなしで、中には「除雪車がどけた雪が邪魔だ」と連絡してくる市民もいたという◆確かにいら立つ気持ちは理解できるが、その矛先を行政にぶつけるのはいかがなものか。豪雪地帯や降雪に慣れている長浜・米原ならまだしも、大雪が稀にしかない彦根などでは「仕方ない」と思うしかないだろう◆ただ、今回の大雪は大げさに言えば、突発的な一種の災害であり、防災の点では良い教訓になった。急に発生する災害に対して、どれだけ混乱し、どのような対策をとっておくべきか、市民、行政ともこの教訓を生かしてほしい◆さて一方で、小生が荒れた雪道で信号待ち(渋滞)のため停車していた際、雪道を横断しようとしていた高齢女性に妊婦さんが声をかけ、手押し車を持って一緒に渡り始めたところ、市のごみ収集車の作業員が降車し、2人の横断を助けるという美しい光景にも出会った。妊婦さんや収集車の作業員のような市民が増えることを願うばかりだ。 (山田)

大雪で彦根市や県に苦情相次ぐ「除雪を」

 23日から25日にかけての積雪で彦根市や滋賀県に対して除雪を求める苦情が相次いだ。
 気象庁によると、彦根市の積雪量は25日午前1時に54㌢を記録。場所によってはそれ以上の積雪もあり、彦根市内や犬上郡内の道路では至る所で渋滞が目立っていた。市は市道約633㌔のうち、除雪の対象になる幹線道路が約147㌔で、そのうち約140㌔を民間会社37社に委託しており、また県は県道約245㌔のうち対象の231・4㌔(通行止め路線含む)の除雪を民間28社に依頼している。
 市には道路河川課を中心に24日午後から翌日まで苦情の電話が相次ぎ、その数は25日までに本庁舎だけで数百件に上り、県湖東土木事務所にも100件ほどあったという。主な内容は「圧雪で車が動かない」「長浜や米原は除雪ができているが、なぜ彦根はできない」「除雪車の雪が自宅前にあり、邪魔」など。
 市は22日夜から、都市建設部の職員が8人で1班となり、計8班で夜間を通して警戒にあたり、積雪10㌢以上で除雪作業に出動する体制を整えていた。23日午前4時時点では積雪が数㌢だったが、その数時間後の出勤時間帯から日中にかけて雪が降り続き、翌日以降も日中の降雪が多かったため、除雪作業が追いつかなかったという。
 市は除雪経費として約700万円を計上しているが、今回の降雪により予算が超えたため、補正予算を計上する。また除雪車についても民間会社や豪雪地帯の自治体が所有している高機能車を所有していないため、市道路河川課の担当者は「長浜や米原などではどのような体制で除雪をしているのか、早急に確認したい」としている。
大雪の被害状況
 彦根市は26日、23日から25日にかけての大雪による被害状況を発表。転倒などによるけが人が8人いたほか、学校園の休校園や学校給食の中止、ごみ収集の見合わせなどもあった。主な被害は以下の通り。
 交通事故1件、ビニールハウスの全壊・一部損壊8棟、市中老人福祉センターの屋根雪止め陥落、公立幼稚園・公立小中学校の臨時休業(24日)、学校給食の中止(23日中学4校・24日小中24校)、ごみ収集(24日午後と25日午前)。

2017年1月27日金曜日

母親たちに内職をしてもらいながら交流の場を提供する斬新な子育て支援を行う会社・BCOM(ビカム)設立

 伊藤仏壇(彦根市芹川町)の仏事コーディネーター・伊藤義孝さん(33)が、子育て中の母親たちに内職をしてもらいながら交流の場を提供するなど、斬新な子育て支援を行う会社「BCOM(ビカム)」を設立。その活動に母親たちをはじめ、企業なども注目し始めている。
 伊藤さんは2歳、4歳、6歳の子どもがいるが、草津市出身の妻・未来さん(35)が子育ての最初のころに土地勘がなく、頼れる友人がいなかったため悩む姿を見て、「仕事が忙しくてサポートできない自分にもどかしさを感じていた」という。
 この経験から、子育て中の母親が社会復帰するまでの期間のサポートが必要だと思い、▽親子向けの「イベント」▽簡単な内職をして給与を支払う「仕事」▽市内の「お得情報」―を提供する取り組みを考案。「土台をしっかりして継続する必要がある」として、昨年11月21日に株式会社として設立した。社名のBCOMは「Business Coming to Mom」の略で「ママに仕事が舞い込んできますように」という意味。
 伊藤仏壇の店舗3階の約165平方㍍に、キッズスペース、カフェスペース、内職の作業場を整備。絵本シアターやお金の使い方講座などのイベント、シール貼りや簡単な物作りなどの内職の場を定期的に設けている。ほかに親子連れで行ける飲食店などでの特典情報をラインで提供するサービスもしている。ビカムの公式のラインに登録すると、イベント、仕事、お得情報が配信される仕組みで、現在110人の母親が登録している。
 伊藤さんは「ママ同士でイベントへの参加や内職で交流しながら、子育ての悩みの解決にもつなげてほしい。色んな地域でこの取り組みが広まっていけばと思う」と話している。企業からの内職や協賛できる店舗も募集している。問い合わせはビカム☎(22)4546。

2017年1月24日火曜日

鳥居本中の生徒たちが雪上アート、グラウンドに積もった雪を使って石田三成の旗印「大一大万大吉」を描い

 佐和山城跡のふもとにある彦根市立鳥居本中学校(山田孝校長)の生徒たちが16日、芝生のグラウンドに積もった雪を使って石田三成の旗印「大一大万大吉」を描いた。
 昨年度、赴任した山田校長がグラウンドに積もった雪を見て「白いキャンパスのようだ」と思い、雪上アートを考案。昨年度は鳥居本中で実施している年賀状コンクールの作品を参考に、富士山からの日の出をグラウンドに描いた。
 今年度も生徒たちから降雪時には描きたいとの要望があり、先週末からの雪で「白いキャンパス」になったグラウンドに美術の時間を利用して、1年生18人と2年生14人、教員5人が約50㍍四方に90分かけて「大一大万大吉」を描いた。
 鳥居本中は平成22年6月にグラウンドが芝生化されているため、雪が溶けると「大一大万大吉」の文字が浮かび上がるよう、文字の回りに雪を約20㌢積み上げる方法で制作した。
 山田校長は「昨年も体験した2年生たちからは1年間で最も思い出に残ったとの声も聞いた。雪が溶けて文字が見えるのが楽しみ」と話していた。

「夏川りみ&青島広志withオーケストラ・アンサンブル金沢」の演奏会29日に文化プラザで

 「夏川りみ&青島広志withオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)」の演奏会が29日午後2時~文化プラザグランドホールである。
 夏川さんは沖縄県石垣市出身。平成11年にデビューし、2年後の「涙そうそう」は大ヒットし、翌年には紅白歌合戦にも出場した。青島さんは東京芸大と大学院修士課程(作曲)を首席で卒業し、これまでに作曲した作品は200曲以上だという。
 青島さんが指揮、OEKが管弦楽の演奏を務め、第1部では青島さんの案内による湖と城の名曲集として「連作交響詩 わが祖国より モルダウ」「琵琶湖周航の歌」「冬景色」など、第2部では「涙そうそう」など夏川さんの名曲が披露される。合唱には彦根児童合唱団といなえ少年少女合唱団も登場する。
 料金は1階が5000円~5500円、2階が3000円~5000円。未就学児の入場不可。南彦根駅西口から無料の臨時バスあり。チケットは文化プラザ、ビバシティ、アルプラザ、県立文化産業交流会館などで。問い合わせはNPO法人ひこね文化デザインフォーラム☎(23)3383。

滋賀中央信用金庫 本部を小泉町に新築する5階建ての建物に移転へ

 滋賀中央信用金庫が彦根市中央町の本部を、小泉町に新築する5階建ての建物に移すことがわかった。
 滋賀中信は大正3年8月18日に彦根信用組合として設立。その後、彦根信用金庫に改め、平成16年7月には彦根信金と近江八幡信金が合併し、滋賀中信となり、中央町に本部、近江八幡市に本店を設置。現在は彦根市から草津市まで計30店舗ある。本部の建物は合併前の彦根信金時代の本店だった3階建てで、今年で築50年。
 滋賀中信は建物の老朽化やセキュリティ対策、機能面、防災面などの点から新築移転を計画していたところ、ビバシティ彦根前にある彦根百貨卸商業協同組合の建物群のうち、同様に移転を計画していた2店舗を含めた敷地への新築移転が決定した。
 新しい建物は2店舗と店舗裏の駐車場、百貨卸の組合事務所分の計約6000平方㍍の敷地に、5階建ての延べ約1000平方㍍で建設。完成予定時期は2020年5月。百貨卸の組合事務所の2階建ての建物はそのまま活用される。新しい本部には中央町の現在の機能のほか、近江八幡市の本店の営業推進部や事務管理部、監査部も移され、本部機能を充実させる。
 最上階には約300人が入れる開放スペースを設けるほか、ベンチャー企業や学生の起業支援向けなどの部屋の設置も検討中だ。
 滋賀中信の沼尾護理事長は「学生向けに魅力ある就職先を創出する地(知)の拠点大学による地方創生事業(COC+)にも力を入れていきたい。新しい本部は彦根の景観に合った建物にしたい」と話している。
 なお現在の本部の建物は支店か出張所として活用される。

2017年1月20日金曜日

観光船を井伊家の赤備えにちなんで改装し「直政」と命名

 近江トラベルは彦根港から運航している観光船を井伊家の赤備えにちなんで改装し「直政」と命名。9日に就航披露と試乗会を行った。
 8日から放送が始まったNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」と、3月18日に開幕する彦根城築城410年祭に合わせて、160人乗り・62㌧の観光船「第5わかあゆ」を赤備えの甲冑をイメージして改装。外観は赤地を基調に、橘や井桁の家紋、直政の文字を金色でデザインしており、内装も家紋を配している。
 9日に彦根港で行われた記念式典には大久保貴市長や彦根商工会議所の小出英樹会頭、彦根鉄砲隊の隊員ら約50人が参加。近江トラベルの植田重弘社長が「2年前からリニューアルを考えていたが、大河ドラマや築城410年祭に合わせて決断した」とあいさつした後、大久保市長が「湖上から美しい彦根城を『直政』と一緒に眺めて頂きたい」、小出会頭が「『直政』を活用し、官民に市民も加わって盛り上げていけると確信している」と述べた。
 「直政」は3月1日から竹生島までの2便と多景島までの1便で登場する。問い合わせはオーミマリン☎(22)0619。

オーケストラ・アンサンブル金沢のメンバーらが彦根市内の中学生たちに演奏の基礎を教える楽器クリニック

 「夏川りみ&青島広志withオーケストラ・アンサンブル金沢」の演奏会を前に、OEKのメンバーらが彦根市内の中学生たちに演奏の基礎を教える楽器クリニックが15日、西中学校で行われた。
 当初は市内7中学校の吹奏楽部員約100人が参加する予定だったが、降雪のため4中学校の45人が午前と午後の部に分かれて体験。来校したOEKのメンバーらは、フルートの松木さやさん、クラリネットの松永彩子、トランペットの藤井幹人、ホルンの金星眞さん、トロンボーンの喜井宏さんで、各教室に分かれた生徒たちに楽器の扱い方などを教えた。
 ホルンの教室では「音を変えるためには唇ではなく、口の中で音程を調整させるのが大事」、クラリネットの教室では「吹く際はいすの半分ほどを残して座り、両足をしっかりと地面につけ、自分の指を見ないこと」などのアドバイスを受けていた。クラリネットを習っていた東中1年生の小川雛乃さん(12)は「吹き方やくわえ方、角度、構え方など勉強になりました。これからの演奏に生かしていきたいです」と話していた。

2017年1月19日木曜日

ひこにゃんへの年賀状 過去最多に

 ひこにゃんへの年賀状が6日午前で計1万1769通届き、年賀状を前にひこにゃんも喜んでいた。また市は19日、ひこにゃんへの年賀状が過去最多の1万4375通になったと発表した。
 ひこにゃんへの年賀状は彦根城築城400年祭の翌年の平成20年から届き始め、その年は最終的に1762通だったが、同22年の1万3036通以降、1万通超となっており、同26年が1万4303通(これまでの過去最多)、昨年が1万3841通だった。
 今年も3年連続で全都道府県から届き、例年と同じく、大阪が最多の2068通で、次いで滋賀(1856)、京都(977)、兵庫(873)、東京(856)となっている。彦根市内は308通。海外は台湾からが2通だった。
 はがき以外では、2年連続で今年のえと・酉柄の木製羽子板や、水戸市のみとちゃんや宮城県仙台市のむすび丸などのキャラ仲間からも届いた。メッセージには「『おんな城主直虎』や『彦根城築城410年祭』が始まりますね。井伊家や彦根城のPRを全力でがんばってください」と書かれたものや、ペットとして飼っているネコや鳥など動物からのメッセージを飼い主が代筆した年賀状もあった。
 ひこにゃんからは、今年も住所が分かる相手に彦根城の入場券付きはがきで、ひこにゃんが3パターンのポーズをとったうちの1パターンずつが返信される。

2017年1月17日火曜日

切通口から櫓門が建っていたことがわかる石垣や礎石を発見、地震で修理した跡も

 彦根市教委文化財課は、佐和町で発掘調査をしている切通(きりとおし)口から、櫓門が建っていたことがわかる石垣や礎石を発見したと発表。彦根城の外堀の7つの城門では初めての具体的な遺構の確認となる。22日午後1時半~現地説明会を行う。
 文化財課は昭和54年度から旧外堀に関する発掘調査を実施しており、市道の拡幅工事に伴って切通口を調査。本発掘となる第6次調査を昨年10月26日から今年3月下旬まで、松吉前の第1調査区60平方㍍と純正寺前の第2調査区約31平方㍍で行っており、そのうち第1調査区の36平方㍍の調査を終えた。
 試掘の第5次では切通口の石垣や雁木(石階段)、土塁の基底部などが見つかったが、より深く発掘した第6次では門の柱を支えていた礎石や、長さ約9㍍のL字型の石垣、栗石などが確認。これらの遺構や天保7年(1836)の御城下惣絵図から、櫓門形式だったことがわかった。櫓門の形状は重要文化財の太鼓門櫓に近いという。
 石垣は外堀が築かれた元和年間(1615~24)と、後の時代に築かれた加工した形跡がある石の2種類あり、後の時代の石垣は享和2年(1802)12月22日の彦根大地震で切通口の一部が壊れ、修理されたとみられる。最も大きい石は元和年間時代の1㍍×90㌢×高さ60㌢。
 切通口は藩主らが彦根と江戸を行き来する際に必ず通過する城門の1つで、格式高く見せるために櫓門にしたと考えられる。御城下惣絵図によると、外堀の7つの城門で櫓門は高宮口や池州口でもその可能性があるが、確定したのは切通口が初めて。
 文化財課では「近世城郭の外堀の城門跡が検出されるのは全国的に見ても希少なため、極めて貴重な遺構。江戸時代の彦根城の石垣修理の内容も確認でき、重要な発見だ」としている。
 今後発掘を行う第1調査区の残りや第2調査区では土橋や外堀、暗きょ、江戸期の上水道管の跡が検出される可能性がある。22日の現地説明会の集合場所は護国神社前の市道予定地。午後3時まで順次、全体説明を実施する予定。参加無料。雨天決行。問い合わせは文化財課☎(26)5833。

滋賀県護国神社で画家の大串亮平さん作品展、ギャルリーオー企画

 彦根市尾末町の滋賀県護国神社の斎館で6日から、画家の大串亮平さん(40)の作品展が始まった。ギャラリーを運営している「ギャルリーオー」(大津市)が企画した出張ギャラリーの第1弾として開催。
 大串さんは京都出身で、佐賀県立佐賀北高校、京都精華大学日本画専攻を卒業後、全国各地のギャラリーなどで個展やグループ展を開催。護国神社での作品展ではシャクナゲ、桜、カキツバタなど花のほか、タカと松、モズとボタン、ホオアカとザクロ、カワセミとハスなど、鳥と花を組み合わせた作品を含め計19点を展示。いずれも絹本に描かれており、掛け軸にして販売もしている。
 ギャルリーオーでは県内にギャラリーが少ないことから、休館期間を活用して今年から出張ギャラリーを企画。芸術作品の展示場として開放したい護国神社側との思いとも一致し、1月に大串さんの日本画、2月7日から堀乃布子さんのイラストを展示することにした。
 ギャルリーオーの代表・加藤晶子さん(38)は「色んなジャンルの作家さんがいることを知ってもらうきっかけになればと思い、出張ギャラリーを企画しました。多くの方に作品を見てほしい」と話している。大串さんの日本画展の開館時間は午前10時~午後5時(最終26日のみ午後4時まで)。月曜のみ休館。

2017年1月7日土曜日

井伊直虎と直政の幼少期のすべて

 彦根藩の初代藩主・井伊直政の養母として知られる次郎坊師は井伊直虎と名乗り、井伊家存続の危機にあった時期に「女城主」として活躍した。NHK大河ドラマの主人公・直虎が過ごした井伊家発祥の地、静岡県浜松市引佐町井伊谷を本紙記者が訪れた(直虎と虎松(後の直政)の絵は光山坊提供)=文と写真・山田貴之
 直虎は井伊家二二代当主・直盛の一人娘として生まれた。直盛には男の子が生まれなかったため、直虎の許嫁(いいなずけ)だったいとこの直親に家督を継がせる予定をしていた。直虎が誕生した年は明らかになっていないが、直親と同世代だったことから、天文4年(1535)か同5年だと考えられる。
 直親の父・直満が今川家に殺され、9歳だった直親の命も狙われたため、その身は秘密裏に信州に隠された。直虎は直親が亡くなったと思い、井伊谷にある井伊家の菩提寺・龍潭寺で出家し次郎法師と名乗った。
 11年後に井伊谷に戻った直親は直盛の養子となり、奥山家の娘と結婚し、永禄4年(1561)に男の子が誕生。虎のように強く、常磐の松のように末永く栄えることを願って虎松と名付けられたとされる。この虎松が後に井伊家二四代当主・彦根藩初代藩主になる直政だ。
 虎松が生まれた年は武田信玄と上杉謙信による川中島の合戦と同年。その前年の桶狭間の戦いでは直盛が戦死するなど、戦乱まっただ中での誕生だった。また、虎松誕生の1年後には直親が謀殺され、その翌年には再び当主を継いでいた曾祖父の直平も毒殺された。
 わずか3年間で当主を次々と亡くした井伊家の家督を継ぐ者は、幼い虎松しかいなかった。井伊家では虎松の母が直親の死後、再婚したため、虎松を養育できる者を模索。その時に登場してきたのが女性ながら井伊家を支えていた直虎だった。
 この期間の逸話として、昭和46年刊行の改訂「近江国坂田郡志」の第6巻には、「永禄7年4月から2カ月間、今川氏真の詮議を避けて、井伊万千代(虎松)が眞廣寺(米原市)に滞在した」と記されており、これが事実ならば、直政が幼少期にすでに近江入りしていたことになる。
 永禄11年(1568)に徳川家康が三河から遠州(遠江)に進出すると、井伊家が治めていた遠江は徳川家の支配下になった。虎松の命に危険を感じた龍潭寺の住職・南渓(なんけい)和尚は、虎松を奥三河の鳳来寺に逃がし、虎松は同寺で8歳から14歳ころまで、かくまわれたとされる。
 南渓和尚について、龍潭寺の前住職・武藤全裕さん(82)は「軍師のような役割を果たしていた」と解説。虎松が15歳になった天正3年(1575)に直親の13回忌法要が営まれた際、直虎や南渓和尚らは虎松を家康の家臣にさせることを決断した。直親と親交があった家康は、自身の幼名・竹千代にちなんで、虎松に万千代を名乗らせ、300石を与えた。
 万千代はその後も家康の元で武功を立て、本能寺の変が起こった天正10年(1582)の11月、元服した万千代は直政と名乗り、武田家の家臣団が井伊家に加えられ、赤備えが誕生。直政は「井伊の赤鬼」と呼ばれた。一方で、直虎は直政の出世を見届けながら、天正10年に死去。墓は龍潭寺境内の井伊家の墓所内にあり、直親の隣に眠っている。 
   
 井伊谷にある龍潭寺は奈良時代に行基菩薩が開いたと伝えられている。
 元々、井伊谷の地域は「井の国の大王」が聖水祭祀を務めた「井の国」の中心地とされ、水にまつわる伝説が多く残るという。
 平安時代には井伊家の祖・共保が生まれ、遠江の有力武士となった。同寺の近くには共保が近くで生まれたとされる「共保出生の井戸」がある。その後、井伊家は鎌倉時代に源頼朝に仕え、南北朝時代には後醍醐天皇の皇子・宗良親王を城に迎え、北朝軍と戦った。同寺に隣接する井伊谷宮には宗良親王がまつられている。
 室町時代には、井伊家二十代・直平が帰依した黙宗瑞淵和尚を新たに同寺の開山として迎えたことで、遠州地方に臨済宗が広められた。
 同寺の1万坪(3万3000平方㍍)余りの境内には、彦根藩四代・直興が延宝4年(1676)に再建したという本堂、元禄15年(1702)に建てられた開山堂、共保・直盛・直政の座像や直弼の位はいなどが安置されている霊屋などの建物がある。庭園は長浜出身の文化人・小堀遠州が江戸時代初期に造った池泉鑑賞式。彦根藩二代藩主・直孝の依頼で造ったとされる。昭和11年に国の名勝に指定されている。
 大門と仁王門の間にあるご神木のナギの木は樹齢約400年とされる。井伊家存続が危ぶまれていた時代、直政の母は境内の松岳院内に身を寄せながら、地蔵を境内にまつり、その隣に息子の無事の成長を願って、ナギの木を植えたという。
 平成22年10月16日には、浜松市で開かれていた「奥浜名湖『井の国』千年祭」にひこにゃんが訪問。橘(たちばな)の幼木を龍潭寺の入り口に植えた。
 なお彦根市古沢町の龍潭寺は、慶長5年(1600)に直政が佐和山城主となったのを機に、昊天禅師を招いて山麓に建てられた。こちらの庭園も遠州が造園に関わった。
 このほか、井伊家の城としては井伊谷城があり、直虎らもこの城を拠点にしていたとみられる。現在は井伊谷城跡城山公園として整備されている。
 そして、山下には井伊家館跡(井伊城本丸跡)に残る「井殿の塚」があり、今川家によって謀殺された井伊直満・直義兄妹の輪塔がある。
 (※=この特集記事は本紙平成28年の元日号で掲載した内容です。)