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2017年11月6日月曜日

豊郷町出身の近江商人の本・近江の豪商・薩摩家三代記―薩摩治兵衛とその孫バロン薩摩 刊行

 豊郷町出身の近江商人や文化人として知られる薩摩治兵衛と息子、孫の生涯をまとめた本「近江の豪商・薩摩家三代記―薩摩治兵衛とその孫バロン薩摩」=写真=が刊行された。
 治兵衛は天保元年(1830)に犬上郡四十九院村で生まれ、幼名が與惣吉。数えで10歳になった頃には武蔵国秩父郡(埼玉県秩父市)の外池太右衛門の店に丁稚奉公。一人で野宿をしながら十数日かけて武蔵国まで向かったという。18歳の時には近江国愛知郡小田刈村(東近江市小田刈町)の織物問屋の小林家に仕え、慶応3年(1867)の38歳の時に独立して東京日本橋で木綿類の商売を開始。明治21年(1888)には東京日本橋に本店(薩摩商店)を新築し、木綿王と呼ばれるほどの豪商になった。
 治兵衛が51歳の時の明治14年12月4日に、後に二代目になる治郎八が誕生。明治33年2月に治兵衛を襲名し、2年後には大阪に支店を開業し事業拡大を図ったが、金融恐慌などの影響で昭和9年(1934)に薩摩商店が閉店した。
 二代目治兵衛の息子・治郎八が誕生したのは明治34年4月13日。東京の精華小学校の時から英語に関心があり、19歳の年の大正9年(1920)11月2日、法律留学という形で渡英。同12年4月にはフランスのパリへ移住し、翌年に帰国して東京の駿河台にフランス様式の邸宅を建設。以降、民間大使のように日仏交流に貢献し、その後もパリと東京を往復する生活を続けた。昭和4年(1929)にはパリ日本館の建設にも尽力。日本館建設の寄付の功により、薩摩父子にはフランス政府から勲章が贈られている。戦時中はパリに滞在し、日本の敗戦後の昭和26年5月12日に帰国。「バロン薩摩」として文化、芸術活動に貢献しながら自由奔放に生き、同51年2月22日に亡くなっている。
 本は「木綿王と呼ばれた男」「薩摩治兵衛商店の継承」「日仏文化交流の架け橋」「バロンサツマと私」「巴里(パリ)大学都市と私」の5章に分けて、初代治兵衛、二代治兵衛、三代治郎八(バロン薩摩)の生涯を解説。発行は芙蓉会。1400円(税抜き)。豊郷町観光案内所で販売しているほか、出版元のフォリオ(兵庫県芦屋市)で郵送販売も。

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