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2013年2月1日金曜日

幕末・明治の彦根藩 直弼死後「地位捨てる」、ジュニア歴史塾

 ジュニア歴史テナライ塾が26日、文化プラザで開かれ、市教委市史編さん室の小林隆さんが「彦根藩士の幕末・明治維新」をテーマに話した。
 小林さんは江戸時代の彦根藩について、徳川家を支える譜代大名として①戦いでは真っ先に襲いかかる先手の家②天皇を守る京都守護③徳川将軍家跡継ぎの後見人④江戸幕府をまとめる大老―の重要な役割を果たしていたと説明。
 しかし、十三代・井伊直弼が暗殺された桜田門外の変と、薩摩藩が江戸幕府に政治改革を求めた文久2年(1862)の政変により、直弼の政治責任が問われたことで②~④の役割が解かれ、領地も30万石から20万石に減らされたことを紹介。その後の彦根藩は幕府の命で何度も出兵したが、慶応元年(1865)7月の幕府と長州による第二次幕長戦争で敗れたことで、「①もダメになり、彦根藩は西洋式の軍事改革を行った」と解説した。
 新政府軍と旧幕府軍とが戦った明治元年(1868)からの戊辰戦争で、彦根藩は旧幕府派の家老と新政府軍派の中下級藩士で意見が分かれた。小林さんは「結局、中下級藩士の意見で新政府軍についた彦根藩は譜代大名の地位を捨てるという政治改革をした」と述べた。
 明治維新以降の彦根については、人口が江戸時代に約3万6000人(うち武士が約2万人)いたが、明治前半には約2万2000人(うち士族が9500人)に減少したことで、「武家屋敷の取り壊しが進み、彦根のまちに活気がなくなった」と話した。まちの復興策としては、製糸業と人材育成をあげ、そのうち人材育成では彦根藩の中級藩士出身で、米国留学を経て、専修学校(後の専修大学)の創設、横浜正金銀行取締役、衆院議員などを務めた相馬永胤(ながたね)の功績を論じた。
 次回のジュニア歴史テナライ塾は2月9日午前10時~文化プラザで。テーマは「近江の産業革命」。受講料300円。対象は小中学生と保護者だが、定員未達時は以外も可。申し込みは文化プラザ(27)5200へ。
「八重の桜」で講座も
 NHK大河ドラマ「八重の桜」をテーマにしたひこね市民大学講座・歴史手習塾が2月1日~計3回、文化プラザで開かれる。
 題は▽1日=「なぜ会津は最後まで戦ったのか▽22日=「なぜ今『八重の桜』なのか▽3月23日=「なぜ『ハンサムウーマン』と呼ばれたのか」。講師は八重の桜で時代考証を担当している東京学芸大学の大石学教授=写真、22日のみNHK制作統括の内藤慎介さんも加わる。いずれも午後7時~。受講料3000円、会員のみ1800円。定員未達時は1回券(1200円)も。申し込みは文化プラザへ。

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