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2010年8月31日火曜日

YOSAKOIソーラン日本海百万石会場・ジュニア大会で「舞宇夢赤鬼Jr」最優秀

 7月14日に金沢市内で開かれた「YOSAKOIソーラン日本海百万石会場・ジュニア大会」で、彦根市の子どもたちのグループ「舞宇夢赤鬼Jr」が最優秀にあたる大賞を受賞し、市役所に報告のため訪問した。
 ジュニア大会には全国から16チームが出場。舞宇夢赤鬼Jrは小中学生約30人で組織している。
 市役所には総括の三輪勇さん(63)を含め8人が訪問し、市長らに報告した。
 メンバーの荒川真実さん(12)は「大賞受賞はとてもうれしい。現地で友達ができたことも良かったです」と話していた。

2010年8月29日日曜日

隠れた名所「仙琳寺」 井伊直興の子・本空の弟子(義空)時代に建立、直弼も茶室に通う

 佐和山近くの愛宕(あたご)山にある天台宗・仙琳寺(内田一明住職)=古沢町=は、歴史好きの市民でさえ詳細を知らない、知る人ぞ知る「隠れた名所」だ。
 佐和山城落城の直後を描いたという「彦根御山絵図」(江戸時代中期)では、現在の仙琳寺の場所に、「愛宕」という字と鳥居があるため、江戸時代以前には京都の愛宕社から分祀された社堂があったとされる。元禄8年(1695)に彦根藩四代目藩主・井伊直興がその愛宕社を修理。十一代・直中時代には諸堂や門なども整備され、文化3年(1806)までに現在の形に。
 古沢町のJRを挟んで西側(警察署側)から、寺へつながる専用の緑の鉄橋を渡り、階段を数段あがると、堂々とそびえる楼門が建つ。そこをくぐり、階段をあがると、平安時代末期から鎌倉時代に作られた阿弥陀如来坐像を本尊とする本堂(異なる堂を後に転用)があり、左側の中門を入ると、愛宕社、観音堂など諸堂が並んでいる。本堂には茶室や庭園跡があり、楼門の左側の斜面には領民が三成を慕って作ったとされる石田地蔵もある。
 寺と佐和山の間には竹やぶが生い茂っているが、市民有志が整備をしており、その作業中には井戸3つと石垣跡を確認(本紙25日付で既報)。三成時代に仙琳寺のあった場所に茶室が設けられて、そこで三成が茶の水をくんだとの伝承もあるが、市文化財課によると、三成時代、そこには何らかの「丸」があったらしいが、三成が過ごしていたかは不明だという。
直興の子・本空病死も
弟子・義空が托鉢し建立
 【仙琳寺の歴史】
 四代・井伊直興は、息子・千代之助(1711~70)の行く末を案じ、深く帰依していた松雲寺(旧愛東町)住職の南嶺慧詢(なんれいえじゅん)に託した。千代之介は出家後、弁慧(べんえ)と改名。南嶺の死後、直興の命により京都に上り、寺院・般舟三昧(はんじゅざんまい)院に入って、名を本空と改め、その後、同院十五代目の住職に。自らで寺の建立を決意するが、病死した。
 本空の弟子・義空は、預かった金が天明8年(1788)の大火で焼失するという災難にあうが、直興から本空への遺書を持って愛宕山の庵に移り、彦根の町で托鉢を行う。それを知った十一代・直中が寺院の普請を進め、寛政10年(1798)に本空を初代住職にする命を出し、そのころ「仙琳寺」となったとされる。
 直中の子で十三代・直弼の時代には、直弼が仙琳寺の五代目住職・慈空宛てに送った嘉永6年(1853)の書状で愛用の茶器を贈ったことが明記。嘉永5年から安政5年(1858)までの江戸・彦根での茶会記「懐石附(づけ)」では直弼が仙琳寺での茶会に4回出席。嘉永4年から安政4年までの16回の茶会を記した「彦根水屋帳」では直弼が亭主を務める茶会に慈空が3回参加しているなど、直弼との親密ぶりがうかがえる。 (文・写真=山田貴之)

2010年8月28日土曜日

湖東定住自立圏・地域創造事業発表、戦国リキシャ・石田三成検定・農家レストランなど

 彦根市は25日、彦愛犬による湖東定住自立圏内で年度内に行われる「地域創造事業」を発表した。
 彦愛犬は、5月から6月まで募集し圏域内の団体から51事業の提案があり、メインイベントとなるシンボルで3、ほかの地域づくりで28の事業を決めた。
 シンボル事業は▽ウォークラリーや地域資源に関する講演会などの「秋の一日まるごと中山道!中山道ウォーク&湖東ふるさと塾」▽電車内や駅舎で物産販売とサイクルラリーの「湖東いい(井伊)輪 田園鉄道 近江湖東産直マルシェ&サイクリング」▽江州音頭をベースにしたよさこい演舞をつくる「湖東三山新江州音頭演舞会」(仮称)。
 主な地域づくり事業は▽一圓屋敷の収蔵品のうち非公開の屏風などを公開▽戦国の甲冑をイメージした戦国リキシャを製作▽仙琳寺の竹やぶを整備し竹ホルダーを作ってキャンドルナイトで使用▽歴史や言い伝えを子どもたちが取材し紙芝居や壁新聞を作る▽井伊直弼の漫画を発刊▽石田三成検定を行う▽地元食材を使っての「農家レストラン」を一時オープンする―など。

「彦根仏壇・伝統工芸インターンシップ」、京都伝統工芸大学校の学生が彦根仏壇の技体験

 彦根仏壇の若手職人グループ「江州彦根七職家」の製作現場で、京都伝統工芸大学校(京都府園部市)の学生が職人の技を体験している。
 彦根仏壇業界は、職人の高齢化と後継者不足が深刻な状況で、若手の職人を求めている。彦根市芹中町の井上仏壇店(井上昌一代表)は、仏壇の製造技術を学んでいる学生に、将来的に彦根仏壇業界の職人になってもらおうと、平成20年から「彦根仏壇・伝統工芸インターンシップ」を実施。今年は江州彦根七職家に協力を求め、同校で蒔絵と木彫刻を専攻する女子学生2人が23日から28日まで、大薮町の蒔絵工房・舟越と米原市の井尻彫刻所に分かれて、それぞれの技を体験している。
 蒔絵工房舟越に出向いている山根昌子さん(30)=守山市=は「学校で学ぶことと現場での仕事では違うものもあるが、とても楽しい。将来的に彦根仏壇の業界で働ければ」と話していた。同店店主の舟越丈二さん(39)は「受け入れることができれば是非、考えたいが、彦根仏壇業界は(景気が)厳しいから」と答えていた。

2010年8月27日金曜日

芹谷ダム問題、「芹谷地区ダム対策委員会水没部会」が「使途制限のない補償金」要望、県と平行線

 県が建設中止を決めている芹谷ダムの予定地の住民で組織の「芹谷地区ダム対策委員会水没部会」の門川康夫部会長らが25日、県庁を訪れ、嘉田知事に「使途制限のない補償金」を求める要望書を提出した。
 部会では7月下旬に、多賀町水谷地区の24軒を対象に行ったアンケート結果に基づき要望書をまとめた。県が家屋改修や介護支援など福祉施策、道路などインフラ整備を示しているのに対し、要望書では使途制限のない補償金と、各戸の敷地内全棟が対象の改修―などを求めており、平行線をたどっている。
 25日の会談でも互いの溝は埋められておらず、今後の交渉の行方が注目される。
彦根市の脱退を正式承認
県流域治水検討委員会
 県流域治水検討委員会の行政部会が24日、大津市内で開かれ、治水対策の方針の違いから平成20年11月28日に申し入れた彦根市の脱退が正式に承認された。
 市は、「県流域治水基本方針」で▽行政主導型治水から住民と行政との協働型治水へ▽川の中での対策から川の外を含めた流域一体での対策―などと示されたことに反発。芹谷ダム建設の推進の立場から「委員会の方針と市に相違があるため、承諾できない」として脱退を通知していた。
 部会では、彦根市の方針に変化がないため脱退を承認したうえで、復帰への説得を続ける考えも示した。また年内にも県の流域治水基本方針の原案が決定される。

2010年8月25日水曜日

仙琳寺プロジェクト 竹やぶ整備し石垣や石田三成の茶の井?確認、キャンドルナイト実行委員会

 彦根市民有志が、古沢町の愛宕(あたご)山にある仙琳(せんりん)寺の周辺を整備する「仙琳寺プロジェクト」を立ち上げ、廃竹の除去作業をしており、22日にも3回目の作業が行われた。これまでに石田三成が水をくんだと伝わる3つの井戸や石垣の跡を確認した。
 仙琳寺(後日・詳細紹介)は、彦根藩四代目藩主・直興(1656~1717)の子・千代之助(1711~70)が出家し、本空と改名した後に開基した寺。現在、その周辺には竹やぶが広がっているため、9月23日と11月6日に宗安寺(本町2)で行われる恒例イベント・キャンドルナイトの実行委員会メンバーが仙琳寺を新たな観光名所にしようとプロジェクトを企画。10人前後が7月19日、8月8日、22日と作業を行い、井戸などを確認した。
 これまでに予定エリアの3分の1ほどを終えているが、今後も9月12日と10月10日に作業を予定しており、参加者も募集中。また、伐採した竹でキャンドルホルダーを約1000個作り、キャンドルナイトで灯す計画も。問い合わせは夢京橋あかり館℡0749(27)5501へ。

子ども駅長体験「出発進行~」、近江鉄道で

 子ども駅長体験会が近江鉄道で開かれており、県内外から集まった少年たちが電車出発の合図や構内放送などに「奮闘」している。
 同社は、親子の夏休みの思い出にしてもらおうと、7~28日の土曜に駅長体験を開催。
 21日は、午前中に彦根駅東口で、制服に着替えて記念写真を撮った後、電車の仕組みや安全システムの説明などを受ける鉄道教室、同社ミュージアムの見学を経て、高宮駅に移動し業務を体験。
 谷航輔君(三重県津市・小2)、馬場亮輔君(栗東市・小5)、石部和也君(愛荘町・小2)の3人が、発着する際の指さしや、駅構内の乗り換え案内、切符切りに取り組んだ。少年たちは、颯爽と指さし合図を行ったり、大きな声で乗り換え放送をするなど伸び伸びと鉄道仕事に没頭していた。
 最寄の愛知川駅によく行くという石部君は「とても楽しかった、来年もやりたい」と話していた。

2010年8月24日火曜日

ロボカップジュニア世界大会出場の子ども70人が彦根で交流

 ロボカップジュニア世界大会で活躍する日本代表の子どもたち約70人が20~22日、彦根を訪れ、サイエンス・ラボ(銀座町)や、荒神山少年自然の家、聖泉大学で交流した。
 ロボカップは国内で唯一の世界規格とされている国際科学技術コンテストで、サッカー、レスキュー、ダンスの各部門がある。ロボットの制御システムなどの設計から製作までを、子どもが独力で手掛け、世界大会では製作したロボットの特性や技能を競う。
 21日には聖泉大で、北海道から九州の各ブロック上位者の少年少女たちが、設計や製作の技術について意見交換。5月の全国大会で2位入賞し6月の世界大会出場権を獲得していた彦根南中1年の沓水悠馬君も参加し、ほかの仲間と対戦していた。

彦根工業高の生徒製作「かまどベンチ」、中薮町の公園に9基目完成

 防災の日を前に、彦根工業高生と中薮町南部自治会(北村英世会長)が公民館の広場に、災害など非常時にかまどになるベンチを完成させ、21日の地蔵盆でお披露目した。

 彦工では地域貢献活動の一環で防災かまどベンチを製作しており、彦根市内では今回ので9基目。同自治会の自主防災会(尾崎孝雄会長)から依頼され、2、3年生15人が6月から設計、製作に取り組んでいた。
 かまどベンチは、基盤がレンガ造りで長さ2・3㍍。普段は板を載せてベンチとして使えるが、非常時には板を外してかまどとして利用できる。この日の地蔵盆では早速、カレー作りに利用された。
 同自治会では、ほかの公園にも彦工生が現在2基製作中で9月までに完成する予定。

2010年8月21日土曜日

沖縄は中国の領土?? ―平和ボケした日本の政治家たちへ―

 中国で今、「沖縄を返せ」の声が高まっている―。毎日新聞が18日付けの朝刊トップで報じた記事を読み、嘲笑しながらも、中国という国家の貪婪(どんらん)さに唖然としたのは小生だけではあるまい。
 記事によると、昨年12月に北京で行われた中国人歴史研究者らによるシンポジウムで、「明治政府による琉球併合(1879年)も、戦後の沖縄返還(1972年)も国際法上の根拠はない」との主張が繰り返されたという。
 また毎日は2面で「沖縄に根付く『親中国』」「『本土』への反発 表裏一体」という見出しを掲げ、在日米軍基地の75%が集中し移設問題が遅々として進まない現状に対して、琉球大教授の「沖縄では本土への反発と中国への親近感がセットになっている」とするコメントを紹介。平成16年にヘリが墜落した沖縄国際大学長の「沖縄の人は日本人のようで日本人ではない。米国、中国どちらに付くのかの二分法を解くことこそ、沖縄の役割だ」とする話をあげている。
 沖縄本島と宮古島の間では今年4月に、中国艦隊の艦載ヘリが日本の海自護衛艦に異常接近。日本側が抗議したものの、中国国防省は「公海上での正常な訓練は国際法上にかなっている。正常な訓練をしている中国海軍の航行を長時間にわたって近距離で妨害するべきでない」と、二の句が継げない談話を発表している。
 18日付けの主要各紙は、中国の軍拡に対して米国国防省が「懸念」を示した年次報告書についても取り上げ、そのうち産経は中国海軍が自国製の空母を建造していることを指摘し、海軍が「近海型」から「外洋型」へシフトチェンジしたと報じた。
 つまり軍事面において、中国の敵は太平洋を挟んだ米国であり、万が一にでも米国の軍隊が日本から撤退した場合、中国は日本固有の領土である尖閣諸島や沖縄を占領し、強いては日本全体を支配下に収めるに違いない。
 どこの国の者かと指図したくなる日本の政治家たちが「国民の生活が第一」と唱え、実現できもしない公約を掲げつつ、防衛費を削減する昨今、日米安保の問題を含めて、我々日本人は自身の生活面を重視するだけでなく、国家の存亡に繋がりかねない安全保障に対しても関心をもたなければならない。【山田貴之】

彦根市総合発展計画審議会が市総合計画(案)を答申、市民に積極参加求める

 彦根市総合発展計画審議会(会長・曽我直弘滋賀県立大学学長)は18日、市の目指すべき方向性を示した「彦根市総合計画」(案)を市に答申した。ほとんどの項目において、市民自らがまちづくりに積極的に参加するよう求めているのが特徴で、まだまだ根強く残る「殿様文化」からの脱却をはかる姿勢がうかがえる。
 総合計画では、10年間程度をめどにした「基本構想」と5年間程度で社会情勢に応じて見直せる「基本計画」で構成。基本構想では観光客などの交流人口を新たに取り入れ、平成21年の318万6300人から平成32年には347万人に増やすとしている。
 基本計画では項目別に、現状と課題、目指す成果、市が取り組むべき主要事業、成果の達成に向けて、実際に市民団体が取り組んでいる内容について列記。平成27年度までの数値目標も初めて導入している。
産科医確保で分べん再開
稲枝駅整備、文化財保護も
 市街地の整備については彦根駅東口の早期完了と稲枝駅周辺整備の必要性をあげて、駅東地区の宅地使用面積割合を100%、稲枝駅周辺整備率を90%にする。
 歴史的建造物と文化財の保存・活用については推進させる考えを示し、歴史的風致形成建造物の指定を6件から17件に、市指定文化財を66件から87件に増やす。
 地域医療体制については▽彦根市立病院に産科医を確保し医師による分べんの再開を目指すとし、分べん取り扱い数を21年度の14件から360件にする▽市立病院を中心にし病院や診療所、薬局などとの連携を強める―などとしている。
 安心できる生活環境のうち河川整備では、県に対して芹谷ダム建設の中止撤回を強く求め、ダム建設の早期実現に向けた提言をする必要があると指摘している。
 市は、答申に基づき計画を策定し、9月中旬に市民に意見を聞くパブリックコメントを行い、議会の承認を経て正式に完成させる。

2010年8月20日金曜日

堤豊宏さんの書展 味覚の宿「双葉荘」で、片岡鶴太郎さんからの手紙も

 彦根市正法寺町の堤豊宏さん(54)の書展が29日まで、味覚の宿「双葉荘」(松原町)で開かれている。
 堤さんは豊郷や彦根の小学校の教員を務め、現在は城西小の教頭。書家としても知られ、1年がかりでその年の自分の生き方を表そうと、毎年、一つの作品をつくりあげている。
 作品は1㍍四方ほどの紙に書かれた「山」、「雪」、「心」、「梅」など14点。ほかにタレントで画家の片岡鶴太郎さんが堤さん宛てに送った筆で書かれた手紙も展示。開館は午前10時~午後5時。入館無料。

子どもたちが彦根仏壇の技体験、「江州彦根七職家」企画

 子どもたちが彦根仏壇の技を体験する「夏休み伝統工芸教室」が18日まで、ひこね燦ぱれすで開かれ、3日間で計33人が参加した。
 彦根仏壇の若手職人で組織の「江州彦根七職家」が企画し、子どもや保護者が参加。若手職人の指導を受けながら、銘々皿に漆でひこにゃんや花を描く「蒔絵」、急須台に金箔を貼る「金箔押し」、ひこにゃんのレリーフ(浮き彫り細工)を作る「彫刻」、「漆塗りはし研ぎ」の4コースから選択して体験した。
 金箔押しをした中央中2年生の谷本勇太君(14)は「金箔がすぐに飛んでしまってとても難しかったけど楽しかった。自分の部屋に飾りたい」と話していた。

2010年8月19日木曜日

彦根南中学校・男子ホッケー部が初優勝 強豪「朝日」破り全国制覇、宮口和樹君がMVP

 彦根南中学校の男子ホッケー部が、13日~16日に岡山県内で行われた全日本中学生ホッケー選手権大会で見事優勝し、初の全国制覇を果たした。  同部は、7月28日にあった伊吹山中との県大会を勝利、8月初旬の近畿大会でも優勝し、全日本大会に出場した。
 予選リーグをD組トップ、決勝トーナメントも安定した戦いで勝ち上がり、決勝戦は昨年の大会の準決勝で敗れ、3連覇を狙っていた強豪の「朝日」(福井県)と対戦。
 キャプテンの宮口和樹君(3年生)の活躍などで終始リードし、5対2で勝利。宮口君は最優秀選手賞(MVP)に選ばれた。
 柏本宏和監督は「生徒たちががんばってくれた結果。生徒が望む結果になって本当に良かった」と話していた。

中学・陸上200㍍全国ランキング1位 彦根南中・桐生祥秀君「全国1位目指す」、4×100㍍もランク1位

 陸上競技200㍍で今期の中学生・全国ランキング1位で、彦根南中学3年生の桐生祥秀(よしひで)君(14)=写真=が、鳥取市内で21日から行われる全国中学校体育大会陸上競技に出場。100㍍と4×100㍍にも登場する予定で、滋賀彦根新聞のインタビューに「全国1位を目指す」と抱負を述べた(聞き手・山田貴之)。
 桐生君は、城陽小学校時代はサッカー部員だったが、足の速さはピカイチだったといい、南中進学後は陸上部へ。今年春に100㍍で初の10秒台となる10秒99を記録し、7月21、22日に行われた全日本中学通信陸上大会滋賀大会では100㍍で10・87、200㍍で21秒89のタイムを出した。最新の全国ランキングでは100㍍が3位、200㍍が1位。
 桐生君がアンカーを務める4×100㍍リレーも全国ランキング1位(43秒74)。ほかのメンバーは黒丸智弘君(14)、北村岳史君(14)、疋田天希君(14)。南中陸上部の億田明彦監督(43)は「コンディションを万全にさえすれば、全国1位の可能性は十分にある」と話している。
 陸上競技は20日に開会式があり、23日まで行われる。

直木賞候補・万城目学さん「プリンセス・トヨトミ」を語る彦根で、関西復権プロジェクト

 直木賞候補作家・万城目(まきめ)学さん(34)=写真=の作品「プリンセス・トヨトミ」の映画化を記念し、29日午後1時半~ひこね燦ぱれす(小泉町)で万城目さんの講演会と、歴史ブーム仕掛け人らによるパネルディスカッションが開かれる。
 豊かな歴史を絡め地方から盛り上げ機運を高めていこうと、彦根や京都の有志らが今年5月に組織した団体「関西復権プロジェクト」(目加田宗彦代表)の主催。万城目さんは平成18年に「鴨川ホルモー」でデビューしボイルドエッグズ新人賞を受賞。第2作の「鹿男あをによし」は直木賞候補となった。
 昨年発刊した「プリンセス・トヨトミ」も直木賞候補となり、惜しくも受賞は逃したが、来年夏の映画化が決定した。現在は、彦根東高や竹生島などを舞台に現代の高校生たちの日常をえがいた作品「偉大なる、しゅららぼん」を小説・すばるで連載中。 
 講演会テーマは「プリンセス・トヨトミを語る」。パネルディスカッションのパネラーは、「戦国」を世界へ発信し日本の活性化を目指している戦国魂プロジェクト主宰の鈴木智博さん、長浜城歴史博物館参事の太田浩司さん、佐和山城研究会代表の田附清子(すがこ)さん。入場料は1500円、文化プラザの登録制学生(高大生)割引・SP価格1000円。問い合わせは文プラチケットセンター℡0749(27)5200へ。
万城目さん講演チケットプレゼント
 滋賀彦根新聞は、29日の万城目学さんの講演会の入場券をペア一組にプレゼントします。はがきに住所、氏名、年齢、連絡先を記入し弊社まで。23日まで必着。当選者は本紙25日(水)付けで発表しますので、電話連絡のうえで取りに来てください。

2010年8月18日水曜日

滋賀県護国神社で8月15日 戦没者追悼慰霊祭、山本賢司宮司「靖国参拝せず、残念」

 彦根市尾末町の滋賀県護国神社(山本賢司宮司)で15日、全国戦没者追悼慰霊祭と県下戦没者追悼慰霊祭が営まれ、遺族や県民ら約200人が参列した。
 同神社には、戊辰戦争、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争で祖国日本の平和を願って亡くなった滋賀出身の戦没者3万4750柱がまつられている。
 慰霊祭では、山本宮司による祝詞(のりと)奏上と玉串奉てんの後、県遺族会の松井尚之会長や彦根市遺族会の西田惣次郎さんらが玉串を奉てんし、英霊に感謝の誠を捧げた。
 東京代々木の日本武道館での全国戦没者追悼式の模様がラジオで流された後、参列者で1分間の黙祷を行った。
 最後のあいさつで山本宮司は「戦没者の御霊(みたま)を慰めて、感謝をするべきだと思うが、今の政府の閣僚が靖国神社に参拝しないのは残念なことだ」と嘆いていた。

吉田修三さん 陶芸作品を彦愛犬に寄贈

 障害福祉事業所やデイサービスに通いながら芸術活動をしている吉田修三さん(53)=多賀町=から、陶芸作品の寄付の申し出があり、12日に多賀町役場で贈呈式があった。作品は彦愛犬1市4町に1点ずつ贈られ、各市町の庁舎などに展示される。
 吉田さんは、11歳の時に入所した旧石部町の児童福祉施設での粘土工作をきっかけに芸術活動に入った。現在は平日を多賀の杉の子第2作業所で過ごし、週末になると豊郷のデイサービス・ステップあっプ21で陶芸や絵画、粘土作品などの制作活動をしている。
 吉田さんは、自分の作品を多くの人に見てもらおうと、陶芸作品を各市町分の計5点寄贈することにした。贈呈式には吉田さんや久保久良・多賀町長、各市町担当課職員らが出席。吉田さんから町長らに1点ずつ手渡された。
 彦根市では庁舎1階に9月17日まで展示した後、市障害者福祉センターで常設展示し、12月は市立図書館でも。犬上3町と愛荘町でも庁舎などに置かれる。

2010年8月17日火曜日

映画「桜田門外ノ変」上映へ 佐藤純彌監督 ひこね市文化プラザで9月3日講演

 安政7年(1860)に井伊直弼が水戸藩士らに暗殺された「桜田門外の変」の映画が、10月16日から全国ロードショーされる。ひこね市文化プラザは9月3日午後7時~エコーホールで、映画を制作した佐藤純彌監督=写真=の講演会を開く。
 安政5年4月に大老に就任した直弼は、孝明天皇の了解を得る努力をしながらも、米国総領事・ハリスの強い要求により勅許を得る前に通商条約を締結。これに対し、水戸藩の徳川斉昭ら一橋派は直弼の政治を批判し、天皇による直弼政権への非難声明「戊午の密勅」を引き出した。
 しかしその行為は当時、違法行為にあたるため、直弼は密勅に関わった水戸藩士らを逮捕し処罰(=安政の大獄)。天皇には条約締結の了解を得、密勅を水戸藩から返納させるよう求めた。これに反発した水戸藩や薩摩藩の浪士18人が直弼を暗殺して一橋派が幕政を握るクーデターを計画。安政7年3月3日、江戸城へ向かう途中の一行を襲撃し直弼を暗殺した。
 映画「桜田門外ノ変」は、直弼を暗殺した部隊の指揮官・関鉄之介を主人公として、当時の幕府と水戸藩との関係、下級武士だった関が暗殺に関わった背景などをえがいている。関役は大沢たかお、直弼役は伊武雅刀が務め、ほかに、長谷川京子、北大路欣也などが出演している。
 佐藤監督は東京出身。東大仏文学部卒業後、東映入社。昭和38年(1963)の「陸軍残虐物語」で監督デビュー、昭和63年の「敦煌」では日本アカデミー最優秀監督賞、平成17年の「男たちの大和」ではブルーリボン監督賞受賞。講演テーマは「映画・桜田門外ノ変を語る!」。入場料500円。申し込みは文プラチケットセンター℡0749(27)5200へ。
講演チケットプレゼント
 映画制作会社・東映関西支社は、9月3日にひこね市文化プラザで開かれる佐藤純彌監督の講演会のチケットを、滋賀彦根新聞の読者5組10人にプレゼントする。 
はがきに住所、氏名、年齢、職業、電話番号を記入し、〒530・0001大阪市北区梅田1の12の6 イーマビル14階 東映株式会社関西支社・「桜田門外ノ変」歴史講演会 滋賀彦根新聞係へ。23日必着。当選者には27日までに通知する。

2010年8月14日土曜日

彦根出身・松山俊彦さんの個展、夢京橋キャッスロードの政所園で

 彦根出身の画家・松山俊彦さん(56)=東京都東村山市=の個展が30日まで、夢京橋キャッスルロードの政所園2階で開かれている。
 松山さんは後三条町の長久寺・松山貞邦住職の弟。彦根東高在学中は美術部に在籍し、その時から本格的に絵を描き始めた。武蔵野芸術大学などを卒業し、昭和55年の国画会で初入選した後、セントラル油絵大賞展、亜細亜現代美術展、現代美術選抜展などにも出展。「国展」奨励賞、多摩秀作美術展グランプリなどを受賞。現在は東京を中心に個展、グループ展を開いている。
 彦根での個展は13年ぶり。具象画として、「蘇生」「発芽」「ふ化」「融合」「慟哭」「再生」など、「人間の心の奥底に眠っている目には見えない生命体を表現した」(松山さん)。ほかに、ねこや犬、果実、サケなどを描いたものも含め0~100号の作品計29点を展示している。
 開館は午前10時~午後6時半。入場無料。松山さんは19日まで展示会場にいる予定。休館は火曜。

「菅談話」の主要紙・社説比べ

 韓国併合100年を迎えるのを機に、菅首相が10日、過去の朝鮮半島の植民地支配に対し「痛切な反省と心からのお詫びの気持ち」を表明した「談話」について、主要5紙は、翌11日の社説でこの問題を取り上げた。
 朝日は、談話で(植民地支配が)当時の韓国の人々の意に反して行われた、と初めて位置づけたことに対して「共感できる認識だ。私たちも重く受け止めたい」と評価。「国家指導者が歴史認識を語り、将来に向けた期待と方針を示したことには大きな意味がある」とも書いた。一方で、自民党など野党や民主党内から決着済みの補償問題を蒸し返すなどと批判が出たことには、「浅く、また見当違いの見方ではないか」と切り捨てた。毎日も同じような論述だった。
 読売と日経は、「妥当な内容」「日本にとってプラスだ」と評価しつつも、請求権の放棄などを盛り込んだ昭和40年の日韓基本条約締結をあげ、「新たな請求権は認めないとする立場は堅持すべき」「決着済みの請求権問題を再燃させないよう努める必要がある」と釘を刺した。
 そして注目すべきは産経だ。社説(主張)の全スペースを使い「談話発表が強行されたことは極めて遺憾」「歴史を歪めた私的な見解は断じて許されない。必要なはずの国民的な合意づくりも一切、欠落していた」と断じ、「最大の問題点は一方的な歴史認識だ」と展開。平成7年の村山談話よりも踏み込んだ内容に「明治以降の日本の先人たちの努力をほぼ全否定し、韓国の立場だけを述べている。どこの国の首相か疑ってしまう」とし、「反省すべき点もあるが、鉄道建設や教育の普及など近代化に果たした役割は大きい。創氏改名や日本語教育も行ったが、それらは強制されたものではない」「事実に即して光と影をバランスよく伝えるべきだ」と指摘している。   (山田貴之)

感謝の手紙・サンクスらぶレター彦根市立病院へも 赤松信院長「励みに」、安心なお産の会

 県内の女性らで組織の「安心なお産を願う会」(高居涼佳・代表)のメンバーが11日、患者から産科医らへの感謝の手紙・サンクスらぶレターを彦根市立病院に持参し、赤松信院長らに手紙と花束を手渡した。4日には中央町の神野レディースクリニックにも訪問している。
 願う会は、受診した患者から産科医や小児科医へ感謝の気持ちを伝えてもらおうと、昨年6月から手紙を募集。今年3月までに市などを通じて病院・診療所など27機関に計90通届いた。
 市立病院へは産科や小児科、院内助産所、麻酔科へ18通。そのうち、出産時に救急車で運ばれたという市民は「麻酔科の先生がいらっしゃらないと手術ができないことを知り、感謝の気持ちでいっぱい」「市民として市立病院に勤務して下さっている皆様に本当に感謝しなければ」と書いている。
 3人を市立病院の産科で、1人を院内助産所で出産したという市民は「色々なことがあったにもかかわらず、再び出産できる環境を整えて下さった方々に心から敬意を表します」と記している。
 高居代表は「一通一通に感謝の気持ちが込められていると感じた。これからもお体に気をつけていただき、がんばってほしい」と話した。
 赤松院長は「大変、励みになるし、今後、地域医療を一層活性化していきたい」と述べた。

2010年8月13日金曜日

彦根りんごの収穫祭 子ども200人が参加

 彦根市中薮町の彦根りんご園で11日、りんごの収穫祭が行われ、市内の子どもたちが収穫を楽しんだ。
 彦根りんごを復活する会などが平成19年11月に市有地約1900平方㍍を借り受けて農園を整備。「平成」、「文化」、「芹川」の3種類の彦根りんごの苗木を植え、育ててきた。20年に初めて実をつけて収穫祭を行った。
 今年は昨年の収穫が多かったためか、果実は少なかったものの、平成・13本、文化・10本の木にゴルフボール大ほどの実をつけた。収穫祭には彦根乳児保育所(中薮2)の園児23人や、金城・平田・城西の小学生、ほかの学区の子どもたち計約200人が参加。りんごを見つけては「ちっちゃい」「かわいい」などと言いながら、収穫しかごに入れていた=写真
 祖母の家に来て参加した旭森小2年生の沼波仁香(みか)さん(8)は「りんごの収穫は初めてで、楽しかった。夏休みのいい思い出になった」と話していた。
 収穫されたりんごは約500個で、1人3個ずつ提供された。収穫祭後は、隣の公園で流しそうめんと大道芸も行われ、園内は子どもたちの歓声で賑わっていた。

2010年8月11日水曜日

野坂昭如さん原作「火垂るの墓」のミュージカル開催企画 「火垂るの墓とそのころの彦根」展、ひこね市文化プラザ

 第二次世界大戦時の彦根など滋賀県内の様子を撮影した写真などを展示した「火垂(ほた)るの墓とそのころの彦根」展が、14日までひこね市文化プラザで開かれている。
 14日に文化プラザであるミュージカル「火垂るの墓」に合わせ、文化プラザが初めて企画。「空襲」「出征」「日々のくらし」「子どもと学校」の4テーマに分けて44点を展示している。
 展示品は、田原町に落ちた焼夷弾、城南小に落ちた爆弾の破片、甲良町での配給切符、城西小2年生だった上野欽一さんの絵日記、防空頭巾、のほか、写真としては▽昭和12年の彦根駅での出征兵士の見送り▽昭和16年の市内での防空壕掘り▽昭和16年の芹中町でのバケツリレー訓練―の様子など。
 会場は13日までがメッセホール棟1階、14日のみグランドホール2階。開館は午前9時~午後10時。入場無料。
火垂るの墓ミュージカル
文化プラザで14日
 野坂昭如さんの小説「火垂るの墓」のミュージカルが、14日午後2時~ひこね市文化プラザグランドホールで開かれる。
 同作品は、昭和20年6月5日、米軍の大空襲で焼き野原となった神戸の街が舞台。この空襲で家や母親を失った幼い兄姉が必死で生き抜こうとする姿をえがいており、戦争によって食べるものもなく死んでいった野坂さんの妹への思いも込められている。
 演出・脚本は「はだしのゲン」の木島恭さん。演技は劇団ポプラ。全席自由。高校生以上1500円、中学生以下500円、60歳以上1000円、未就学児無料。問い合わせは文化プラザチケットセンター℡0749(27)5200へ。

2010年8月10日火曜日

万灯流し、土曜夜市、彦根ばやし総おどり 「彦根夏の陣」賑わう

 6日から8日にかけて彦根市内では万灯流し、土曜夜市、彦根ばやし総おどりが行われ、賑わいを見せていた。
 30回目を迎えた万灯流しには約3000人(実行委)が芹橋周辺につめかけた。お城大使の2人らが灯ろうを浮かべたのに続き、市民らが先祖へのメッセージや願いを書いた灯ろうを次々と流した。特設会場では、ヨシ笛コンサートや大抽選会も行われ、ひこにゃんやしまさこにゃんが登場すると、会場は賑わいを見せていた。
 7日の土曜夜市では、いしだみつにゃん、ゑびすくん、やちにゃんら6体がリヤカーに乗りながらの「ゆるキャラパレード」が行われ、子どもたちから歓声を受けていた。
 8日の総おどりには約2万5000人(主催発表)が詰めかけ、24団体・約1200人による踊りを見学した。参加者は、変わった衣装や飾りを身にまとい、彦根ばやしの曲に合わせて思い思いの踊りを披露。グランプリには彦根銀座商店街、準グランプリには彦根商工会議所女性会、審査員特別賞には彦根青年会議所が輝いた。

2010年8月7日土曜日

産科医らに感謝の手紙「サンクスらぶレター」 90通届く、安心なお産を願う会 神野レディースに訪問

 産科医や小児科医、助産師、看護師への感謝の手紙・サンクスらぶレターを募集していた「安心なお産を願う会」(高居涼佳・代表)のメンバーが4日、手紙13通を持参し、彦根市中央町の神野レディースクリニックに訪問。神野佳樹院長に手紙と花束を贈った。11日には彦根市立病院へ訪問する。
 願う会は、市立病院が産科の診療を制限した後の平成19年1月に彦根市内の女性を中心に結成。昨年6月から「サンクスらぶレター」を募り、今年3月までに匿名を含め90通の手紙が市などを通して届いた。
「先生、体を大事に」
神野院長「うれしい」
 神野レディースへの手紙のうち、妊娠中に夫が大けがをし、回りが暗い雰囲気だったという市内の女性は「先生が温かい言葉で接して頂き、先生を信じて出産を迎えようと強く思った。出産を無事に終えて、すくすくと育っている命を大切に守りたい」などと記している。
 また「市内に産める所が増えますように」さんは、母親同士で「神野さんの先生(院長)、やせたよね~」という会話が出ることをあげ「先生が元気でなければ笑顔の親子は見られません。どうぞ、お体を大事になさってください」などと、気遣う手紙もあった。
 願う会のメンバーは、「1通1通に感謝の気持ちがこもっていて、神野レディースの存在をありがたく思っていることが改めてわかった」と述べ、手紙と花束を手渡した。
 神野院長は「これまで非難されることも多々あったが、このような手紙をいただき、本当にうれしく思う」と笑顔で話していた。
 手紙は県内外の病院や診療所、助産所など計27機関宛てにあり、神野レディースと市立病院以外は、順次、発送して届けていくという。

2010年8月6日金曜日

平和堂創業者・夏原平次郎さん合同葬 各界から3000人参列し別れ惜しむ

 平和堂創業者で6月19日に91歳で亡くなった夏原平次郎さんをしのぶ合同葬が5日、文化プラザのグランドホールで開かれ、流通業界の経営者や国会議員、平和堂社員ら計約3000人が出席した。
 弔辞で嘉田由紀子知事は「経済人として地域経済の振興に活躍されたほか、教育や文化、スポーツでも大きな功績を残された」「この功績は末永く県民の心に刻まれるでしょうし、ご遺志は後継者に引き継がれ更なる発展につながるでしょう」と述べた。
 獅山市長は、40年前から20年間、平和堂の顧問弁護士を務めていたことをあげ、「私の心の中ではまだ亡くなっておられない。千の風になって、天から彦根市のことを見守ってくださっていると信じている」と、涙ながらに話した。
 謝辞として葬儀委員長を務めた滋賀銀行取締役会長の高田紘一さんは「夏原さんは人間味あふれ、スケールの大きい、先見性のある経営者で、近江商人の鏡のような存在だった」と語った。
 長男で平和堂代表取締役社長の夏原平和さんは、4年前の米寿を記念したゴルフコンペで元気にプレーをしていた思い出話をした後、「父は社会と会社という話をよくした。父の経営理念を大切にし、実践していくことで、社会にとってなくてはならない会社になるよう今後も努めていきたい」と述べた。
 この後、献花が行われ、参列者は夏原さんとの別れを惜しんでいた。

巨大な板に彦根イメージした絵描く、AT MAN(アートマン)こと宇野翼さん「商店街を元気に」

 彦根市の中央商店街にある中野商店で、アーティストのAT MAN(アートマン)こと宇野翼さん(29)=大津市=が、巨大な板(縦約2㍍×横約6・3㍍)にアクリル絵の具で絵を制作。7日までに完成し、以降、同店で展示される。
 宇野さんは幼少期から絵を描き始め、大阪の服飾専門学校を中退した後は派遣労働などをしていた。平成20年夏に山村で子どもたちの世話をするアルバイトをしていた時、自身を「絵描き」だと自己紹介したことをきっかけに絵に専念。絵はがきの作成、飲食店の壁画などを手掛けたほか、バンクーバー五輪に出場したスノーボード・ハーフパイプ・岡田良菜選手のヘルメットの模様も描いた。
 「自分の絵で、シャッター通りが多くなった日本中の商店街を元気にしたい」との思いから、店舗への彩りを企画。今年4月には第1号として守山市内の店舗のシャッターに絵を描いた。彦根の中野商店では今月2日から制作にかかり、遠くに山々が見える琵琶湖岸にいる老若男女をカラフルなタッチで描いた。宇野さんは「彦根の風景を描いた。色んな人に見てもらって、元気になってもらえれば」と話している。

2010年8月4日水曜日

子どもと大人の科学教室「サイエンス・ラボ」彦根・銀座にオープン、自律型ロボット作る

 子どもたちの科学への関心を高めさせるための「サイエンスプロジェクト」を進めている彦根市は1日、銀座町の空き店舗に、子ども向け自律型ロボット教室と社会人向け講座を開講する研究所「サイエンス・ラボ」(仮称)を開設。同日、オープニングイベントとサッカーロボット体験教室を開いた。
 市は昨年度から、パソコンのプログラミングを学んで、自主的に動くロボットを作る・自律型サッカーロボット研究室を開講。市内の小中学生39人と、指導者となる19人の大人が学び、丸健太君(中央中3)と沓水悠馬君(南中1)のチーム「シューティングスター」が日本大会で準優勝する功績を残した。
 オープニングセレモニーでは、ひこにゃんらがテープカットをした後、市のサイエンスプロジェクトの委託団体「子どもの理科離れをなくす会」代表の北原達正さんがあいさつした。
 ロボット体験教室には市内の子どもと保護者ら60人が参加。北原さんの解説を受けながら、シューティングスターの腕前を見学した。
 ラボは、毎週火曜・金曜午後3時~7時(夏休みは1時~5時)、日曜午前9時~午後5時に開放し、ロボット競技の練習ができるほか、今後、小学4年~中学3年対象の「自律型ロボット研究室無料体験教室」や子ども科学教室、社会人向けのプログラミング教室や基礎ITスキル講座などを開講する。ラボの名称も募集中。
 問い合わせは彦根市教委生涯学習課℡0749(24)7971へ。

2010年8月3日火曜日

四番町スクエアのPR大使「やちにゃん」の誕生祭、各地のゆるキャラ10体が祝福

 井伊直弼の次女・弥千代をモデルにしたゆるキャラ・やちにゃんのの誕生祭が1日、彦根市の四番町スクエアで開かれ、各地のゆるキャラたちも祝福に訪れた。
 誕生祭には、やなな(岐阜やながせ商店街)、たわわ(京都タワー)、夢京橋キャッスルロード・マスク小学校のチキンマスクなど10のキャラもお祝いに駆けつけ、一キャラずつプレゼントをやちにゃんに手渡していた。
 その後、やちにゃんを囲む形で、全キャラクが登壇。来場者の記念撮影に応じていた(やちにゃんは後方右から2番目)。

第15回・彦根ゆかたまつりに1万2000人 初のファミリーゆかたコンテストも盛大

 第15回目の彦根ゆかたまつりが31日、夢京橋キャッスルロードを中心に開かれ、約1万2000人(実行委発表)が商店街をそぞろ歩いた。
 メインステージでは、彦根総合高校のファッションショー、大道芸、ミニライブ、大抽選会が行われたほか、今年から始まったファミリーゆかたコンテストも開催され、荒巻圭子さん姉妹が最優秀に輝いた。
 商店街には、金魚すくいやスーパーボールすくいなどの縁日、屋台村もあり、浴衣姿の来場客でごった返していた。

2010年8月2日月曜日

多賀大社で万灯祭、2000灯の提灯並ぶ 3日~5日

 多賀大社は8月3日から5日まで万灯祭を営む。
 黄泉(よみ)の国で祖先の霊を護る伊邪那美大神に感謝を捧げる祭りで、多賀大社には毎年、1万2000灯以上のちょうちんが寄せられ、境内に飾られる。
 点灯時間は各日午後7時~9時半。

2010年8月1日日曜日

青年海外協力隊・小森つぐみさんに彦根工業高・放送部がインタビュー「ニジェールってどんな国?」

 アフリカのニジェール共和国で2年間、青年海外協力隊を務めて今月6日に市役所で帰国報告をした小森つぐみさん(33)=彦根市高宮町=に、彦根工業高校放送部の生徒たちが28日、インタビュー=写真。ニジェールという国や現地での活動内容を聞いた。この模様はエフエムひこねで9月ごろに放送される予定。
 小森さんは県内の会社を休職して同隊に入り、平成20年6月にニジェールに渡った。首都・ニアメから東へ約750㌔㍍離れたアギエ県の農業局の一員として、▽小学校や村でのかまど作り▽雨期トマトの栽培▽植林活動―などの指導役を務めた。
 小森さんに質問をした彦工放送部の生徒は、いずれも2年生の柏原大輝君、桑野圭剛君、八木良介君、1年生の樋口達也君。4人は、ニジェールの主な産業や治安状況、活動した際の現地の人々の反応などを質問。
 小森さんは「ニジェールは資源がない貧しい国で、人々の多くは農業に従事している」「イスラム国家のため、泥棒や女性への暴行などは戒律で規制されており、治安はいい」「現地の人は喜んでくれたが、始めのころはうまく説明できず、衝突することもあった」などと説明した。