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2009年9月30日水曜日

彦根市・犬上郡3町・愛荘町、定住自立圏で協定締結へ 旧豊郷小で調印式

 彦根市、犬上3町、愛荘町の各議会が28日までに、1市4町による定住自立圏の関連議案を可決したことを受け、彦根市は10月4日午前に、豊郷小学校旧校舎の講堂で調印式を開く方針を決めた。
 少子・高齢化による人口減や都市部への人口流出などにより、地方経済の情勢が厳しいことから、国は地方の住民がその地域に定住するよう、中心市と隣接市町による「定住自立圏」の設置を促している。総務省の認定を受けると、中心市への交付税・地方債など財政措置、県から中心市への権限移譲など優遇される。
 県内唯一、認定を受けた彦愛犬1市4町では、▽市立病院を核とした医療体制の整備▽図書館など公共施設の設置▽農作物の地産地消▽交通インフラの整備―などを連携事業としてあげている。
 協定締結により、近く「湖東定住自立圏推進協議会」が設置され、各項目の具体的な政策を協議。国へ申請後、補助を受けながら整備を進めることになる。
 焦点の図書館については、彦根市が市立図書館として整備した後、4町の住民も利用できるようにする。

2009年9月29日火曜日

滋賀夕刊新聞社創立50周年式典 知事や議員ら200人来場

 「しが彦根新聞」の姉妹紙「滋賀夕刊」を発行している滋賀夕刊新聞社は26日、創立50周年記念式典を長浜市内で開き、嘉田由紀子知事や田島一成環境副大臣、湖東・湖北の首長、県議、市議、商工関係者ら約200人が出席した。
 同社は、現在の押谷盛利社長が昭和34年(1959年)に長浜市内に設立し、8月13日に「滋賀夕刊」を創刊した。
 式典で押谷社長は「読者やスポンサー、役所、企業の皆さまからの支援に対して、厚くお礼申し上げます」と感謝の意を示したうえで「(創刊時の)昭和34年は日本の経済復興の入り口で、この50年は激動の中を泳いできた」「新聞とは社会の木鐸であり、社会に向けてのリーダシップを示すという使命感に立って言論を展開するべきとの思いで続けてきた」と述べた。
 また押谷社長はあいさつの最後に「後継者を育てたいという思いから、50年を機に社長の座を譲りたい」とし、押谷洋司編集長を10月1日付けで新社長にする人事を発表した。
 続いて登壇した押谷編集長は「社長就任後は社員一同、全身全霊で新聞発行をしていきたい。皆さまには今後とも温かいご支援を頂きたい」とあいさつ。
 嘉田知事は「滋賀夕刊は湖東・湖北の話題をきめ細かく紹介しており、私も毎日読んでいる。隠れファンの一人」「これからも地域に根ざした話題と、正義感あふれる新聞作りを期待している」と語った。
 田島副大臣は「50年間のご労苦に敬意を表したい。現在では湖東、湖北になくてはならない地方紙になっており、今後とも更に発展されることを心よりお祈りします」と話した。
「自分を見つめる時間を」
延暦寺大阿闍梨の藤波源信さん
 滋賀夕刊新聞社創立50周年記念式典では、比叡山延暦寺大阿闍梨(だいあじゃり)の藤波源信さんが「人生、すべて修行中」と題して講演。千日回峰行(かいほうぎょう)でのエピソードや人生観を話した。
 藤波さんは、平成15年に戦後12人目となる千日回峰行の満行を達成。講演では、7年間にも及ぶ回峰行では「生命を支える水や岩、木をお参りした」「ただ歩くのではなく、人間とは何か、自然とは何かを常に考えていた」と解説。700日を終えた後に断食、断水、不眠、不臥を9日間続けた「堂入り」については、「寝ずに行こうとしても自然に寝てしまうため、特に不眠が難しかった」と述べた。
 また参拝者との会話の感想から「比叡山での7年間の修行よりも、結婚や子育て、仕事などで人生を全うすることが苦行のように思う」「皆さんにはその修行の中で、自分を見つめる時間をつくってほしい」とアドバイス。仏教用語の「止観」という言葉を使いながら「歩むばかりでなく、立ち止まって反省の時間をつくった後、次の段階に進んで頂きたい」と語った。
 【阿闍梨】700日の行と堂入りを終えると、阿闍梨と呼ばれる位が、千日回峰行を終えると最高位の大阿闍梨が与えられる。なお阿闍梨は、サンスクリット語で「軌範」を意味する。
 【千日回峰行】比叡山中の谷から谷を1000日かけて、歩き続ける。その距離は地球1周にあたる約4万㌔。1日約30㌔を最初3年は年間100日間歩き、4年目と5年目は200日間。700日を終えた後の「堂入り」では、9日間、断食、断水、不眠、不臥で不動明王の真言を繰り返す。堂入り後は、回峰行を6年目は100日間、7年目は200日間行い、満行となる。

吉田松陰の故郷を訪ねて 街づくりには市民の協力不可欠

 シルバーウィーク中、小生は井伊直弼主導による安政の大獄(1858~59)で処刑された吉田松陰の古里・山口県萩市を訪れた。訪問した場所は、松下村塾、松陰神社、松陰生誕の地、幽閉された跡地、松陰と門下生の高杉晋作・久坂玄瑞らの墓、伊藤博文の旧宅、萩城跡、城下町など。各場所に残る建物はほぼ当時のままで、約150年前の激動の世の一幕を感じることができた。
 さて、直弼の功績は開国を実現させたことだが、その過程で断行した安政の大獄は決して許される行いではない。現代の世で例えるなら、中国や北朝鮮など社会主義国や独裁国家の主導者が、反体制を唱える自国民に、国家転覆罪なる名目で処刑や拷問をするのと何ら相違ない。
 一方で松陰については、攘夷派かどうかは諸説あるため明断できないが、勅許を得ずに日米修好通商条約を締結した当時の幕府への批判を強めていたことから、尊皇だったことは間違いないだろう。また尊皇思想のほか、松下村塾で明治維新の指導的立場となる木戸孝允や伊藤博文、山縣有朋、前原一誠らを教えた功績も、松陰が現代で高く評価される所以である。
 萩においては、松陰ほか幕末志士のゆかりの地のほか、萩城内や城下町でも「歴史的な街づくり」を体感した。特に外堀より内側には武家屋敷や長屋門、敵の侵入を防ぐため道を迷路のようにした「鍵曲(かいまがり)」などが残り、通り沿いは石垣と土塀が整備されている。一般住宅も多く建ち並び、萩市民が歴史的な街づくりと観光客の受け入れに協力している姿勢がうかがえる。
 彦根でも、城内のほか、城下町や旧宿場で、萩に劣らぬ歴史的建造物が数多く残っている。しかし悲しいかな、道路拡幅や家主の世代交代などで取り壊しが進んでいるのも事実だ。
 彦根市民は、お上頼りの「殿様文化」から少しずつ脱却し始めたとされるが、街づくりや観光をはじめとする政(まつりごと)へ、更なる相携える姿勢が求められよう。 (山田貴之)

2009年9月25日金曜日

彦根市、平成20年度決算 2年ぶり赤字に

 彦根市は、平成20年度決算を発表。一般会計の歳入は前年度比0・3%増の357億7239万円、歳出は同1・2%増の351億2661万円となり、単年度収支額は3億1394万円のマイナスで、2年ぶりに赤字に転落した。財政の健全化を示す指標も前年度同様、厳しい数値を示している。
 歳入は、景気悪化の影響で市税収入が減少し、地方交付税などが大幅減となった。前年度の繰越金の増加と地方特例交付金の増などで、全体では前年度比微増に。歳出は、病院事業会計費への負担増や、道路・街路事業による増などで全体として1・2%増に。
 歳入歳出差引額は5億9733万円で、翌年度への繰越額を差し引いた実質収支は5億0338万円となり、実質収支から前年度の実質収支を引いた単年度収支額は赤字となった。
 財政指標としては、75%程度が望ましいとされている経常収支比率(一般財源のうち人件費など固定経費に費やされる割合)は、前年度より6・1ポイント悪化し、99・8%と標準を大幅に上回っている。実質公債費比率(一般財源のうち借金の返済に充てている割合)は前年度と同じ20%で、地方債の借り入れに知事承認が必要な18%を依然、上回っている。
 市財政課では「新たな事業をする余裕がないほど、財政状況は厳しい」としている。
 市債は、建設事業に係わるものなどを大幅に減らしたことで、発行額は前年度比13・6%減の16億6077万円に。残高も前年度比7・1%減の347億9565万円となり、一人あたりでは31万8000円に。
 基金は、財政調整基金や、病院事業会計負担金の財源に充てるための福祉・保健・医療基金などを取り崩し、全体として基金残高は63億8266万円となった。

直政公演じる長森雅人さん来彦、銅像前に「イメージ通り」

 今秋の城まつりパレードで井伊直政公役を演じる俳優の長森雅人さんが24日、彦根市の獅山市長を表敬訪問した。
 長森さんは、NHKで放映中の大河ドラマ「天地人」で直政公役を演じている。長森さんは「ご縁で直政役を演じることになり感動しています。大役を全うし、お客さんに喜んでもらえるよう頑張ります」とあいさつ。市長は「直政公も喜んでいると思います」と答えた。
 市役所での歓談後、長森さんは彦根駅前の直政公の銅像前にも立ち寄り、「戦で戦陣を切っていたイメージ通りです」と話していた。

高宮の旧家を改装、滋賀県立大学生が喫茶・ギャラリー・ライブ場に

 彦根市高宮町で江戸時代に近江上布の店だった旧「布惣」を、県立大生らが改装し、19日にリニューアルオープンした。
 布惣は、高宮の商人・堤惣平が明治末期まで経営。大正時代からは、現在同店を管理する加藤義朗さんの父・儀太郎さん(故人)が、金物店「加藤儀太郎商店」を経営してきた。
 2年ほど前に店を閉め活用策を模索していた加藤さんが、県立大環境建築デザイン学科非常勤講師の中西茂行さん(51)に改装を依頼。昨年6月に学内でコンペが行われ、改装案が決定し、環境建築デザイン学科と生活デザイン学科の学生約20人が「おとくらプロジェクト」と題して、今年8月10日から改装してきた。
 店は約120平方㍍の敷地に、江戸時代の建物と見られる蔵と、ほかに2部屋あり、県大生らは各部屋の壁塗りと床張り、蔵への階段設置をしてきた。
 改装後、蔵はライブやミニシアターの会場として、ほかのスペースは喫茶「おとくら」とギャラリースペースとして使用される。
 ギャラリースペースでは10月18日まで、茗荷恭介さん(58)=芹橋1=の「鉄と和紙と光の造形」展も開かれている。開館は土日・祝日の午前10時~午後5時。
 学生代表の三橋恵さん(22)は「コンペの段階では空想でしかなかったが、実際に完成して感動した。多くの皆さんに見に来て欲しい」と話している。

2009年9月18日金曜日

石田三成生誕450年祭実行委を設立、第一弾は史跡マップ作成

 戦国武将の石田三成が来年で生誕450年を迎えるため、彦根市民有志らが「石田三成生誕450年祭実行委員会」(委員長・山崎一眞滋賀大教授)を設立。その第1弾として、三成や佐和山城に関する市内の名所14カ所を手書きの地図と写真入りで紹介したマップを作成した。
 彦根市内の花しょうぶ通り商店街や戦国ファンの有志が、三成を顕彰するために来年、生誕450年祭を企画。実行委は約15人で組織しているが、450円のバッチを購入すると入会できるため、今後は花しょうぶ通りのひこね街の駅「戦国丸」のファンクラブに所属する「歴女」ら約500人も加わる予定。
 また、市や彦根商議所による「ひこね集客戦略懇話会」でも、「戦国」をテーマにした観光イベントを展開していくことを決定。井伊直弼と開国150年祭が終了した来年度は、実行委や市、観光団体が連携し、「三成」に関する多彩なイベントが催されるとみられる。
 ※【石田三成】永禄3年(1560)に石田正継の次男(三男の説も)として、坂田郡石田村(現・長浜市石田町)で生まれる。秀吉に従事した後は、一家臣として働き、秀吉の信頼も厚く五奉行の一人として活躍。天正19年(1591)ごろに佐和山を代官し、文禄4年(1595)に19万4000石を得て佐和山城一帯を治めた。関ヶ原の戦い(1600年)で敗北し、家康の命により斬首された。

救急時の救命に一役 彦根の自治会が「安心の救急カード」考案

 彦根市の千鳥ケ丘自治会(辻博史会長)は、救急時に第三者が既往症やかかりつけ医を把握できるよう、全戸に家族全員の既往症などを記載する「安心の救急カード」への記載を依頼し、カードを入れる専用の容器(写真)を全戸配布することにした。自治会単位でのこの取り組みは全国的にも珍しい。
 同自治会は9月時点で138戸あり、70歳以上は104人で、高齢化が進んでいるという。そのため、一人暮らしの高齢者などが急病になった場合、駆けつけた救急隊員や近隣住民が既往症などをすぐに把握できるよう、カードへ記入してもらうことを企画した。
 カードへは、家族の氏名、携帯電話番号、病歴、現在の病気、かかりつけ医、アレルギーを世帯主が記入し、健康保険証や診察券のコピー、常用薬の説明書と一緒に、全戸配布された筒型のプラスチック製の容器に入れ、各家庭に必ずあるであろう冷蔵庫に入れる。また容器を入れた冷蔵庫がわかるよう、配布したステッカーも貼る。
 同自治会は連休中に住民を集めて、カードへの記入とコピー作業、容器の配布を行う。辻会長は「この取り組みは、重篤な救急患者の命が助かったり、軽症で済むことになると思う。全市的に広まることを期待したい」話している。

多賀SAに巨大遊具 「多賀木匠塾」の県大生ら製作

 名神高速道路上り線の多賀サービスエリア(SA)内の公園「多賀の湖」に、県立大生が建てた遊具が完成し、11日に披露した。
 名神高速道路を管理する「ネクスコ中日本」が、地域住民やSAの利用者に憩いの場を提供しようと、県大環境建築デザイン学科の学生44人らで組織の「多賀木匠塾」に遊具の製作を依頼。学生たちは、高取山の間伐材を使い、7点の候補作から「遊Run船」を選考した。
 学生たちは今月1日から10日間、合宿をしながら製作に取り掛かり、11日までに完成。「遊Run船」は、約12㍍×約5㍍、高さ約3㍍に、ジャングルジムや滑り台などが組み合わさっている。ほとんどが木製。費用は約200万円。
 学生代表で3回生の堤健次君(20)は「多賀木匠塾が今まで作った中で最大の物。良い物が出来たと満足している。多くの皆さんに使ってほしい」と話している。

2009年9月15日火曜日

彦根市美術展 滋賀彦根新聞社賞に小林さんの洋画

 彦根市美術展覧会が17日から、ひこね市文化プラザで開かれる。滋賀彦根新聞社賞には、小林淳二さん=栄町1=の洋画「鞍馬・由岐神社」(写真)を選んだ。市展には、日本画、洋画、彫刻、美術工芸、書、写真の6部門に487点の出品があり、そのうち313点が入選した。開館は午前9時半~午後6時半だが、最終日の22日のみ午後5時まで。表彰式は20日午前10時~。

古田さん米原で講演 人生観や野村監督の教え話す

 ヤクルトスワローズ前監督の古田敦也さんが12日、米原市内で開かれた日本青年会議所滋賀ブロック大会で講演。約1800人の来場者を前に、過去のエピソードや人生観などについて熱く語った。
 古田さんは▽少年時代、太っていたためキャッチャーになり、以降33年間務めた▽大学進学時、断りに行ったはずの立命館大で、野球部員から接待を受けて立命館大への進学を決めた▽大学卒業時、日本ハムの元監督からドラフト指名の確約があったものの指名がなく、トヨタ自動車に進んだ―ことなどのエピソードを紹介。
 師の野村克也元監督(現・楽天監督)に対しては「テレビで流される愚痴は見ている側はおもしろいが、ベンチで毎日言われたら選手は不安がる。弱い者いじめの気がある」と笑いを誘ったうえで、「監督からは、打つことよりもチームがいかに勝つかを徹底的に教え込まされた」と話した。
 県内の青年会議所会員からのビデオ放送による「ストレスの解消法は?」「理想の上司とは」などの質問に、古田さんは「今日の事は今日の事だと忘れる能力が必要で、出来た人間が生き残れる」「責任感がなく、文句ばかり言う上司は信頼されない。何事にも冷静に判断できるのがリーダーの条件だ」とアドバイスした。

米国主導の市場経済を批判、佐伯啓思教授 滋賀大創立60周年式典で

 元滋賀大学教授で保守派論者として知られる佐伯啓思・京大大学院教授が、12日に開かれた滋賀大学創立60周年記念式典で「大転換期の学問」をテーマに講演した。
 佐伯教授は、彦根で過ごした1980年代のバブル期の日本と学問について「国内全体が夢を見ていたが、(バブル崩壊以降への)大変な現実も進行していた」「(価値判断をつけない)『ポストモダン』という考えが急激に広まっていたが、私自身は批判していた」と話した。
 昨今の世界的な経済危機の要因については、90年代から2000年代の米国主導による金融中心の経済とグローバル化をあげ「産業を興し、労働者に賃金を払い、消費を拡大させるという従来の経済学から見れば、とんでもない発想だった」と解説。
 また「政府は市場を管理する役割だが、全てを同じ土俵に扱うポストモダン的な発想で、市場全体を見渡すことができなくなった」「90年代の日本の構造改革は、市場が全てを解決するという幻想を抱いていた。どういう社会が良いかを価値判断する人がいなかったと言え、政治家の責任だ」とし、市場原理主義を批判した。 今後の日本については「これ以上、発展していくことは難しい。生き残るためには、50年先、どのような国にするのかを価値判断しなければならない」「日本の学問においても、米国の考えを取り入れる東京辺りの大学を追いかけるのではなく、地に足をつけた研究をするべきで、滋賀大学は可能な場所だと思う」と話した。

2009年9月11日金曜日

聖泉大学、看護学部設置へ始動

 彦根市肥田町の聖泉大学が、看護学部を平成23年度に設置する予定であることがわかった。すでに「設置準備室」を設け、教員や学生の確保、近隣病院との連携のための取り組みを進めている。
 地方病院の看護師不足が叫ばれる中、聖泉大では看護学部を設置することで、将来的には学生を彦根市立病院など看護師不足で悩んでいる県内の病院へ就職させたい狙いがある。
 学生数は1学年80人、教員数は28人を確保する予定。23年4月開講を目指し、来年5月ごろに国に申請、10月末ごろに認可を受けた後、看護学部の設置が正式に決定する。
 彦根市立病院は、聖泉大に看護学部が設置された後、学生の実習の場として受け入れることをすでに決めており、赤松信院長は「看護学部の設置は看護師不足の解消の一助になると期待している」と話している。
 なお聖泉大では教員(助教・助手)を募集している。

今年も「豊作」 多賀大社で古知古知相撲

 多賀大社で9日、恒例の古知古知(こちこち)相撲が奉納され、まわし姿の2人の青年が拝殿前に設けられた砂場の「土俵」で相撲をとった。土俵の回りには参拝客が囲み、1戦ごとに大きな歓声が起こっていた。
 多賀大社は重陽の節句(9月9日)に、豊作を感謝する祭り「古例祭」を営んでいる。祭り後半に行われる古知古知相撲は、今年の農作物の出来を占い、東方の「力士」が勝つと豊作になると言われている。 

 今年は、立命館大3年の森成寿君(20)=東近江市=が「多賀の里」、大阪経済法科大3年の戸崎達矢君(20)=東近江市=が「寿命ケ石」のしこ名を付け、東西に分かれ三番勝負。1勝1敗で迎えた最終戦、東方の森君が下手投げで戸崎君を倒し勝利した。

2009年9月8日火曜日

彦根出身・石田久美子さん所属「アマネ」、初フルアルバム「ニッポン」リリース

 彦根市南川瀬町出身の石田久美子さん(32)所属の音楽ユニット「アマネ」の初のフルアルバム「ニッポン」が、6日から全国発売された。
 石田さんは、米原高校在学中に、同級生で旧湖東町出身の喜多充さん(32)と音楽活動を始め、その後、パーカッション(打楽器)の薫さんを加えて2001年に「アマネ」を結成。大阪を拠点に各地でライブ活動を展開している。これまでにミニアルバムとマキシシングルを2枚ずつ発表し、映画5作に曲を提供している。
 5年ぶり5作目の「ニッポン」は、「リンネ」、「戦の果てに」、「ニッポン」など全12曲のフルアルバム。リンネは、映画「転生-TENSEI-」(2006年)の主題歌にも使われている。
 石田さんは「私を育ててくれた両親や家族、ふるさとの彦根に対する感謝の気持ちを込めて、この作品を創った。そんなアマネの唄に少しでも多くの方に触れてほしい」と話している。
 アルバムは54分47秒、2500円。全国の主なCDショップで販売している。 なおアマネは10月31日にビバシティ彦根でライブを行う。

県議会自民会派分裂、中村・西村両県議も新会派へ

 県議会(定数47)の最大会派自民党・湖翔クラブに所属していた若手ら11人が7日、同会派を離脱し、新会派「自民党・真政会」(宇賀武会長)を結成した。新会派には中村善一郎県議(彦根選出)が入ったほか、西村久子県議(彦根選出)が所属していた自民系会派・湖政会(2)も合流した。
 会派離脱の背景には、自民党が平成18年以降の知事選から、県議選、参院選、先月末の衆院選まで、4連敗していることに対して上層部への不満があったほか、滋賀4区の岩永峯一元農相の後継選びでの意見対立が致命傷となった。湖翔クラブからはほか1人が退会し無所属に。残りの7人の中にも離脱の意向を示す議員がいる。
 中村県議は、会派内で確執があったことを認め「古参議員の高圧的な態度に嫌気がさしたのだろう」と若手に理解を示した上で「嘉田知事には是々非々で対応する」と、自民党としての立場は崩していない。 これで、県議会の勢力は、民主党・県民ネットワーク(16)が最大会派となり、対話の会・びわこねっと(4)、共産党(3)、公明党(2)、無所属(2)に。

草おいしいモォ~ 石寺町の遊休農地で牛2頭放牧

 彦根市石寺町の約20㌃の遊休農地に、近江牛2頭が放牧されており、のんびりと草を食べる光景を見ることができる。
 遊休農地の解消と、家畜と触れ合う機会の提供を目的に、県が10年ほど前から各地で放牧。牛が歩き回って草を食べることで、「草刈り」をしてくれるメリットも。
 石寺町に放牧されている牛は、県畜産技術振興センター(日野町)所有でいずれも雌の7歳と15歳。4日にセンターからトラックで運ばれ、遊休農地に放たれると、牛たちは草むらめがけて一目散に突進し、もぐもぐと草を食べていた。
 放牧は17日までで、普段は地元の石寺振興会・非農用地管理組合の人たちが餌や水をやる。放牧地の回りは電気柵で囲まれているため、見学時は注意が必要。
 なお「草刈り」終了後の同地は、地元で有効活用が検討される。

彦愛犬の首長が民主・田島議員にIC設置で陳情

 名神高速道路の彦根インターチェンジ(IC)と八日市IC間の愛荘町に計画されている「湖東三山スマートIC(仮称)」の設置を巡り、滋賀2区で3選を果たした民主党の田島一成衆院議員が「再検討」の姿勢を示していることに、彦愛犬の首長が4日夜、田島議員の事務所(中央町)を訪れ、真意の確認と設置要望をした。
 スマートICは、高速道路の本線やサービスエリア、バス停から乗り降りできるETC専用のIC。簡易な料金所の設置で済み、従来のICに比べて低コストに。「湖東三山スマートIC」の建設費は計約19億円で、国が約13億5000万円、県が約2億5000万円、中日本高速道路会社が約3億円を負担する予定。今年6月には国交相も視察に訪れ、その後、国交省が認可した。自民党前職の藤井勇治氏がさきの衆院選などで誘致実現の実績をPRしていた。
 4日の会談で、愛荘町の村西俊雄町長は「スマートICの設置は地元の30年来の悲願。地元の期待を背負っており、大きな不安がある」と話した。
 これに対して、田島議員は「ICの設置への協力は惜しまない」とした上で、「マニフェストで高速道路の無料化を挙げており、ETC専用は不要な理論になる」「無料化にした場合は湖東三山を含めて数多くのICを設置するべきだ」と述べた。
過去の恨み節も
 また会談の場では、湖東三山IC建設促進期成同盟会のメンバーに田島議員が入っていなかったことに、同議員が「野党だったからか、入りたいと言っていたが、残念なことに入れなかった。(机の上に広げられた)平面図も初めて拝見した。計画を知る術もなく今日に至ったのは事実」と皮肉った。
 これに対し、首長からは元町長の名をあげながら「過去の政治体制が原因にあった」と理解を求めていた。

2009年9月4日金曜日

彦根工業高校の生徒製作「かまどベンチ」 6基目が金剛寺町に

 彦根工業高校の生徒たちが、防災の日の1日に合わせて金剛寺町民グラウンドに作っていた防災用「かまどベンチ」が完成し、1日に地元住民に披露した。
 かまどベンチは、災害時に炊き出し用のかまどとして利用できるほか、普段は木製の板を置くなどしてベンチとして使うこともできる。彦工都市工学科は、かまどベンチ普及活動をしており、これまでに市内に4基製作。
 今回は金剛寺町自治会(澤田富男会長)から依頼があり、2年生6人と3年生8人が6月から作業にかかり、夏休みを返上して先月末に完成させた。大きさはレンガ部分が幅156㌢、奥行き46㌢、高さ36㌢で、町民グラウンドには2基設置された。同自治会では普段は町内の運動会での炊き出しや、老人会のゲートボールの休憩所として使用する。
 なお彦工では、かまどベンチの設置場所の提供を募集している。費用はレンガやコンクリートなど材料費で約2万3000円。問い合わせは彦工都市工学科℡0749(28)2201へ。

デフリンピックに柔道の日本代表で出場 彦根の山田さん 

 聴覚障がい者による4年に一度のスポーツの世界大会「デフリンピック」に、柔道で出場する彦根市金沢町の山田光穂さん(28)の激励会が、市役所で開かれた。
 デフリンピックは夏季が1924年にフランスで、冬季が49年にオーストリアで始まった国際ろう者スポーツ委員会(CISS)主催の国際的な公式競技大会。夏季に19競技、冬季に5競技が行われ、台湾で5日から15日まで開かれる今年は日本から154人が出場。滋賀県内からは山田さんほか3人。
 山田さんは昨年5月の世界ろうあ武道選手権大会・柔道100㌔級で優勝し、今年3月にはひこねスポーツ賞も受賞。激励会で山田さんは「今までやってきた成果を発揮して、いい報告ができるようにしたい」と述べた。

公明党? 幸福実現党? 開票現場で1時間紛糾

 衆院選の開票所だった「ひこね燦ぱれす」で行われた比例代表選の開票現場で、公明党か、幸福実現党かを巡り、約1時間紛糾していたことがわかった。この混乱で、彦根市の開票終了時間は午前2時45分と県内で最も遅かった。
 市選管によると、投票用紙には平仮名で書かれ、「こう」に続く文字が読みにくかった。一時は選管委員長が「公明」と判断したが、午前1時半過ぎの最終段階で共産党の立会人から「幸福」とも読めると再確認を求める意見が出され、公明党の立会人と対立するなど混乱したという。結局は選管委員長の裁量で「公明」として決着した。

2009年9月1日火曜日

「頼りない」民主党へ 

 衆院選は民主党の圧勝に終わり、国民は「信用できない」自民党よりも、「頼りない」民主党を選んだわけだ。しかし、国民の多くは必ずしも民主党を支持したのではなく、ただ単に、政官癒着構造が蔓延り、総裁や閣僚の不遜な態度が続いた自民党政権に、三行半を突きつけたのであろう。
 傷口に塩を塗り込むのは小生の性に合わぬため、政権を担うことになる民主党が、なぜ新聞やテレビで「頼りない」と揶揄されるのかを以下、列挙する。
 民主党は、旧社会党や自民党に所属していた議員で組織されているのは周知の事実だが、この寄り合い所帯が故に、この党の安全保障や外交、さらには国家観が懸念される。
 衆院選の公示前には、鹿児島県の集会で民主党議員の後援会が国旗を切り裂いて党旗にするという「事件」を起こした。民主党の支持団体で国旗の掲揚や国歌の斉唱を反対する日教組による愚策とも勘ぐることができるが、国旗は国と国民が一体であると表す象徴であり、思想的相違を超えて敬意を表するのが一国民としての務めといえよう。
 民主党のマニフェストに関しては、「バラマキ」や「社会主義的政策」と評される「子ども手当」や「高速道路の無料化」、「農業の個別補償制度」などは、甘いニンジンへの食いつきを狙った民主党の思惑とは違い、国民の評価は必ずしも高くない。国民が「意外にも」冷静な判断をしている理由は、財源への懸念などが挙げられよう。
 例えば、高速道路の無料化について、首都と阪神の両高速道路を除いて無料化にした場合、朝日新聞によると、年約2兆円の収入が途絶え、道路会社の借金約30兆円を税金で肩代わりする必要があるという。ほかにも、渋滞増による運送会社への打撃、鉄道やフェリー業界への悪影響、高速道路の整備・維持管理費への財源不足などの問題がある。さらに環境保全の視点から、温室効果ガスの排出が少ない乗り物の利用を促す「モータルシフト」の世界的な潮流にも逆行する。
 外交・安全保障においては、マニフェストで「東アジア共同体の構築をめざし、アジア外交を強化する」「日米地位協定の改定を提起し在日米軍基地のあり方を見直す」などと列記し、中国との関係強化と米国依存からの脱却を主張している。
 しかし、中国は民族浄化を企み、人権を蹂躙し、民主化の活動・報道の自由を許さぬ全体主義国家である。価値観や思想的に異なる国と、いかに「共同体」を締結するというのか。また国防強化の政策を示さず、どのように米国からの独立を図ろうとするのか。絵に描いた餅である。 民主党は、国民の多くが「頼りない」と思っていることを自覚すると共に、必ずしも党の政策を(国民が)評価したのではないという前提の基で政権運営を担うべきであり、大局的視点に立ち、抜本的な見直しを恐れぬ姿勢も必要である。そうでないならば、「政界再編」の波が押し寄せるのは、そう遠くはないであろう。        (山田貴之)

衆院選 民主308議席で圧勝 滋賀2区も民主田島が自民藤井を抑える

 第45回総選挙は30日投開票が行われ、民主党が308議席を確保し圧勝した。彦根市や犬上郡など滋賀2区では、民主党前職の田島一成氏(47)が10万票を超え3選を果たした。自民党前職の藤井勇治氏(59)は逆風の中で票を伸ばせなかった。
 選挙戦は公示前から田島優位な情勢で、選挙戦最中も優勢は続き、藤井の懸命な追い上げを寄せ付けなかった。
 田島氏は、マニフェストで掲げた▽高速道路無料化▽子ども手当支給▽農業の個別補償制度などを、地域ごとに使い分けて説明した上、「弱点」の一つの財源に対しても、各政策と同時間を費やして解説した。連合や選挙区内77の郵便局、国民新党、社民、共産のほか、自民の一部からも支持を獲得。無党派層の大半も田島氏に回り、大票田の彦根で藤井に約2万票の差をつけたほか、保守が強い湖北でも勝利し、市部全体で約3万6000票、郡部で約7000票上回った。
 藤井氏は、彦根・八日市間のスマートインターチェンジの建設を決定させた実績など選挙区内でのハード事業をまとめたチラシを配付。「湖東・湖北の社会基盤整備はまだまだ進んでいない。国と地域のパイプ役を継続させてほしい」と訴えたが、自民や公明以外の他党や無党派からの上積みはできず、苦杯を嘗めた。地域別でも、虎姫町以外で田島を下回り、彦根ではダブルスコアー以上の差をつけられた。
 なお、滋賀2区の投票率は69・71%で前回(68・36%)よりも微増。そのうち彦根市は66・41%(65・97%)だったが、県内13市で最低。豊郷町は65・45%と県内最低、甲良町は68・32%、多賀町は77・79%だった。
田島「マニフェスト実現させる」
農業と子育て支援重視も
 午後8時に投票が締め切られた直後にNHKで「当確」の報せが入ると、田島一成氏の彦根選対事務所内は拍手が沸き起こった。その数分後に表れた田島氏は支援者と握手をしながら壇上に上がった。  勝因について田島氏は「有権者に閉塞感から脱出したいという自民党へのアンチテーゼ(否定的主張)があり、腐りきった地方の経済や暮らしを立て直して欲しいという思いがあったのでは」と分析。
 マニフェストについては「工程表通りに進めていきたい。特に選挙区内で多かった農業の建て直しや子育て支援をしっかりとやりたい」とし、「皆さんの思いをしっかりと受け止め国会で活躍させて頂く。マニフェストを持って見守ってほしい」と述べた。
藤井「再起を期す」
 落選した藤井氏は、「大逆風の中、前回より3割近い得票の支持を頂き、ご支援に感謝したい。今後も絆を深めて、再起を期したい」と、国政に再チャレンジする姿勢を見せた。
 田島陣営で選対本部長を務めた江畑弥八郎県議は「将来の日本を担う与党の立場として責任は非常に重くなる。今後も田島一成を大きく育てて、支えてほしい」と述べた。
 一方で、自民党の中村善一郎県議は「非常に残念な結果で、仕事のできる藤井さんが落選したのは大きな損失だと思う」とし、「反省を踏まえて自民党を立て直したい」と述べた。