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2009年3月31日火曜日

ケーズデンキが彦根駅東口前に、駅前広場も開設

 駅前広場がオープンした彦根駅東口前に、大型家電量販店「ケーズデンキ」の建設計画があることがわかった。同地区にはビジネスホテルが建設されているが、ほかの施設の建設計画はこれまで明らかになっていなかった。
 駅東口前全体の整備計画は約17万3000平方㍍のエリアで、市は平成25年度中の完成を目指しており、3月29日には駅前広場をオープン。駐車場の乗り入れが可能となった。
 ケーズデンキの進出エリアは、駅東土地区画整理事業区域内17番街区で、すでに18番街区に建設されているビジネスホテルの南側。約5516平方㍍の敷地に、「ケーズデンキ彦根店」として、11月12日にオープンする。駐車場収容台数は191台、駐輪場32台。営業時間は午前10時~午後9時。車の出入り口は4カ所。
 ケーズデンキは3月12日に「豊郷パワフル館」もオープンしている。また駅東口側と国道8号線をはさんで向かい側には「ヤマダ電機」があり、今後は大型家電量販店の激戦区になる可能性もある。
 ケーズデンキを運営する「ケーズホールディングス」(本社・茨城県水戸市)は昭和22年3月創設。昨年3月末時点で291店舗を誇り、昨年3月期の売上は約5677億円。彦根駅東口前では同社子会社「関西ケーズデンキ」が運営する。

 彦根駅東口の駅前広場の開設式が3月29日開かれ、市長や国会議員らによるくす玉割りが行われた。式ではほかに、彦根ライオンズクラブから平成18年10月に贈られた「国宝・彦根城築城400年祭」の記念碑の除幕も行われた。

彦根市観光案内所リニューアル「いらっしゃいませ館」

 JR彦根駅構内の彦根市観光案内所が3月29日、「いらっしゃいませ館」としてリニューアルオープンした。 観光案内所は昭和39年ごろに、現在の彦根駅前派出所付近に開設。昭和56年には駅舎改築に伴い現在のコンビニの位置に移動し、同61年に翌年の世界古城博覧会に合わせて現在地に約61平方㍍で新築された。 リニューアル工事は今月から行われ、休憩スペースやコインロッカー、パンフレットラック、冷蔵庫が設置されたほか、市内業者の商品や観光情報が17インチの画面で宣伝できる「フォトフレーム」2台が備えられた。内装のデザインは県工業技術総合センター(栗東市)内の「デザインフォーラムSHIGA」。工事費は約650万円。

「お浜御殿」を公開、4月20日から随時公開へ

 「彦根まち歩きツアー」が3月29日行われ、井伊家の下屋敷「お浜御殿」の庭園が一日限定で公開された。
 お浜御殿は、文化7年(1810)に十一代藩主・井伊直中によって松原内湖と琵琶湖の間に創設。現在は、江戸期の建物とみられる門番所、土蔵、奥座敷棟、明治22年建設の大広間棟と玄関棟が建っている。庭園は敷地の約半分を占め、琵琶湖の水位と変動する汐入(しおいり)形式の池を中心に、西側に州浜、東側に築山が設けられている。
 ツアーでは庭園や建物の外部が公開され、市教委文化財課の谷口徹さんが庭園や建物の特徴を説明した。
 お浜御殿は平成24年度までに市有地化され、順次整備されるのに合わせて、今年から「新緑」と「紅葉」の時期に1カ月間限定で無料公開される。初回は4月20日から。

24時間コンサート達成、7月にギネス挑戦

 一昨年のギネス更新を記念した「24時間コンサート」が3月28日正午から29日正午まで鳥居本駅で行われ、約200人が参加した。
 電子ピアノやドラム、縦笛などの演奏家のほか、「ちんだんバンド」も参加。途切れることなく、駅舎内は賑やかな24時間だったという。ギネスに挑戦実行委は7月19日に金亀児童公園で、音楽ゲームでギネス更新を狙う予定で、寺村邦子代表は「いくつかのギネスを同時に更新したい」と意気込んでいる。

安政の大獄の背景と直弼死後の彦根を解説、名古屋大学の羽賀祥二教授

 新修彦根市史発刊を記念した歴史フォーラム「幕末維新を生き抜いた彦根藩」が3月28日、彦根城博物館で開かれ、市史の執筆、編集に携わった大学教授らが講演した。
 フォーラムではまず、名古屋大学の羽賀祥二教授が幕府の重鎮だった松平慶永や水戸斉昭の家臣らが記した史料と、将軍・家定の側近・薬師寺元真が彦根藩を訪れ、その翌日(安政5(1858)年4月23日)に直弼の大老就任が決定した歴史を紹介。
 安政の大獄の背景については、直弼は公武合体(朝廷と幕府の連携政治)派だったとした上で、直弼らが勅許を得ずに日米修好通商条約を締結したことに攘夷派の孝明天皇らが激怒。朝廷内が分裂したことが安政の大獄の始まりとなり、公武合体思考の障害となった政治グループを排除するために進められたと説明した。
 講演後のパネルディスカッションでは、彦根市史編さん室室長の小林隆氏が桜田門外の変後、彦根藩が京都守護を解任、領地を削減され、その後は幕府のために働くものの、大政奉還後には新政府軍についた歴史を紹介した上で「なぜ彦根藩は徳川家を見捨ててしまったのか」と質問。京都薬科大学の鈴木栄樹准教授は「彦根藩では直弼暗殺後、復讐の声が高まったが、結局は我慢することになった。しかし領地が削減され、幕府のために働くものの返されることはなかったため、幕府への反感があったのではないか」と分析した。

彦根東高野球部が帰校「あの応援は全国一」

 センバツで惜敗した彦根東高野球部が3月27日の夕方、教職員や生徒たちが見守る中、帰校した。
 小雨の中、部員を乗せたバスが入って来ると、待ち構えていた生徒たちがバスに近づき、降りてきた選手たちに、「お疲れ様」「がんばったね」などとねぎらった。
 今井義尚監督は「負けはしたが、この経験は次につなげていけると思う」とあいさつ。新谷直弘主将は「真っ赤に染まったアルプスは勇気づけられた。あの応援は全国一だったと思う。夏の甲子園を目指して頑張ります。みんなでまた甲子園へ行きましょう」と力強く話した。
 部員たちは吹奏楽部など応援団に関わった生徒に礼をした後、吹奏楽部の本庄礼佳さんが野球部のために制作した歌「僕らの光」を全員で歌った。

2009年3月27日金曜日

彦根東高野球部、センバツ初戦惜敗も甲子園初得点

 
 第81回選抜高校野球大会(センバツ)の第5日目が3月26日、阪神甲子園球場で行われ、21世紀枠で出場した彦根東高は習志野高(千葉)に大接戦の末、4対5でサヨナラ負けした。
 先発した金子投手が負傷交代するアクシデントもあったが、関東大会準優勝の強豪を相手に、終始互角に渡り合う敢闘ぶりを見せ、約5000人で赤一色に染まったアルプス席からは惜しみない拍手が送られた。なお東高の得点は3回目の出場で初めて。

 東高は、エース金子が4回まで習志野打線を無安打に封じる快投。打線も4回表に二死から4番・甲津がレフト線、5番・前川が左翼越えに連続2塁打を放って先制点を挙げるなど、上々の立ち上がり。
 しかし5回裏、金子が初めて安打を許した後、金子の右手がけいれん。さらに6回裏には犠牲フライで同点にされた直後、右足をけいれんするアクシデント。間を取って続投したものの、二死1・3塁から内野ゴロ処理で1塁へベースカバーに走ったところ、けいれんが悪化。ここで、金子はマウンドを降り、サウスポーの今井がマウンドにあがった。
 その後、互いに点を取り合い、4対3となった8回裏からはもう一人の左腕・大澤が継投。力投したものの、この回、本塁打を浴び、9回裏には不運な安打から犠打や四球で進塁され、ライト前にサヨナラ安打を喫し、敗退した。
 試合後、今井義尚監督は「途中で大変なアクシデント(金子投手の負傷退場)があり、2番手以降の投手の登板は予定していなかった。アルプス席の温かい声援は最後まで心強かった」。
 新谷直弘主将は、時折り涙声になりながら「この負けは夏までの原動力になると思う。絶対また(甲子園に)戻って来たい」と話した。
 
 東高のアルプス席には、東高の生徒や野球部の保護者、OB組織・金亀会の会員ら総勢約5000人が詰めかけ、背中に赤鬼魂と書かれた赤いジャンパーを着て応援を繰り広げた。アルプス席は赤一色に染まり、得点シーンや選手のファインプレーごとに大きな歓声が起こっていた。

2009年3月24日火曜日

彦根東高野球部へ激励の歌、本庄さん制作

 センバツへ出場した彦根東高野球部を激励するため、東高吹奏楽部3年生の本庄礼佳さん(17)が歌を制作した。
 歌の題名は「僕らの光」。作詞、作曲のほか、歌やピアノ演奏も本庄さん一人で2番まで仕上げた。
 本庄さんは、子どものころからピアノを習い始めた。中学時代には陸上部に所属し100㍍ハードルで入賞するなど活躍したが、その時も並行して音楽活動に取り組んでいた。
 東高では「陸上を中途半端にやるよりも、将来は音楽の分野で勝負したい」との思いから吹奏楽部に入部。これまでに約10曲を作っているほか、2月に大津市内で開かれた「のど自慢」ではチャンピオンになった。
 東高野球部のセンバツ出場が決定した1月下旬からは、「その時の感動を歌にしよう」との思いから歌を作り始め、期末試験後の今月5日ごろに完成。同じクラスの野球部員に聞いてもらったところ好評だったため、15日に米原市内のルッチプラザで録音し、選手らが甲子園に出発する前日の16日にCDをプレゼントした。
 本庄さんは「野球部を見たまま、感じたままの歌を作った。これまでの積み重ねが甲子園の出場につながったと思う。思い切り、堂々と戦ってきてほしい」と話している。

2009年3月19日木曜日

彦根東高応援団結成、永福団長「球場を東高色に」

 3月21日に開幕する第81回選抜高校野球大会(センバツ)に、21世紀枠で出場する彦根東高校野球部は、大会5日目の第3試合で千葉県の習志野高校と戦う。
 初戦に合わせて、学校に残った野球部員やブラスバンド部、チアリーダーで応援団を組織し、3月5月から練習を開始。在校生約600人と一緒に本番さながらの全体練習を行うなど、スタンド側の熱気も帯びてきた。

 応援団は期末試験後の3月5日に結成され、以降、ほぼ毎日練習に取り組んでおり、野球部、チアリーダー、ブラスバンド部の計約150人で組織。団長には野球部3年生の永福剛史君(17)が就き、応援団を仕切っている。永福君は「任命された時は複雑な気持ちだったが、与えられたからには役割をはたしたい」「甲子園ではスタンドを含めた球場全体を東高色に染めたい」と意気込みを語った。
 チアリーダーは、バスケット部、陸上部、そのほかの計39人の女子生徒で結成。滋賀学園高(東近江市)チアリーディング部コーチの村井三幸さんを招き、練習している。代表の加見恵里子さん(17)は、「チアリーダーは思っていた以上にしんどくて大変だけど、野球部を応援したいという気持ちで頑張っている。ベンチの部員が安心してプレーできるように大きな声で応援したい」と話している。
 ブラスバンド部はセンバツ出場の報告後の2月半ばからすでに練習しており、レギュラー部員用や、チャンスの時、応援歌、校歌などを演奏する。本番には彦根東中や彦根西中のブラスバンド部も加わる。部長の加藤充穂子さん(17)は「いい感じできている」と手応えをつかんでいる。
 

センバツで始球式、城西小の山根君

 3月21日に開幕する第81回選抜高校野球大会(センバツ)で始球式を務める小中学生10人に、彦根市立城西小学校4年生の山根拓斗君(10)が選ばれた。
 山根君は、小学3年生の時に城西スポーツ少年団の野球部に入部。現在はピッチャーで、打率もチームで上位だという。最近は祖父で元市議の正村嘉規さん(68)と長浜市内のバッティングセンターにも出掛けている。
 昨年の夏休みの自由研究は、スポーツ新聞の野球に関する毎日の記事を切り貼りして、コメントを書いてまとめた。母親の恵津子さん(39)は「何をするにもまずは野球」と笑顔で話す。
 始球式は第71回大会から毎日新聞社が募集。山根君は、生まれて8カ月の時に松坂大輔投手(現・レッドソックス)と一緒に写真を撮ったことや、家族が野球好きなこと、近くの彦根東高がセンバツへ出場することを作文にまとめて応募。今月5日に選ばれた一報があった。
 山根君は「とてもうれしかった。甲子園ではいい球を投げたい」と話し「将来はファンの阪神タイガースに入団して、松坂投手のように大リーグで活躍したい」と夢を語った。山根君は9日目の始球式に登場する。

小泉紅かぶら、北村会長らに披露

 「小泉紅かぶら」を復活させた地元住民の団体・小泉八王子倶楽部の勝貞夫部長らが3月17日、市役所を訪れ、小泉紅かぶら漬けの完成品を披露した。      
 小泉紅かぶらは、江戸時代に旧・小泉村で作られ、漬け物として藩主にも献上されたとされる。同団体は昨年9月から復活の取り組みを進め、昨年12月に収穫し、今月1日の滋賀大で開かれた開国フェスタで漬け物を初披露していた。
 完成品を食べた井伊直弼と開国150年祭実行委員会の北村昌造会長は「昔の彦根の味に出会ったようです。おいしい」の声。勝部長は「彦根に行くなら小泉紅かぶら漬けと言われるようにしたい」と語った。

北方領土作文で 河瀬中学校・中原里奈さん最優秀に

 「私たちと北方領土」作文コンクールの表彰式が3月18日、滋賀県庁で開かれ、最優秀の県知事賞を受賞した中原里奈さん=河瀬中3年生=に嘉田由紀子知事から表彰状が手渡された。
 表彰式では、中原さんが作文を発表した後、嘉田知事が「元島民の方たちの思いを代弁するだけでなく、領土問題を日本人全員の課題として考えるべきだと訴えたところに、北方領土返還への強い意志を感じた」と述べた。
 中原さんは「返還を願う人たち、故郷に早く帰りたい元島民の人たちの思いを考えて書いた作文が最優秀賞となって良かった。(3月25日から28日までの)現地研修では自分の目で北方領土を見てみたいし、根室市の中学生とみんなで解決に向けて話し合いたい」と話した。

「篤姫」で使用のミシンを展示

 昨年のNHK大河ドラマ「篤姫」で使われたミシンが、特別展「井伊直弼の開国展」が行われている開国記念館で3月20日から展示される。
 このミシンは、富山県の所有者から借りた足踏み式のもので、篤姫では篤姫役の宮崎あおいさんが実際に撮影で使用した。ふた付きの木製の作業台を入れて高さが約110㌢、幅と奥行きが約75㌢ずつ。ミシンが米国製で、作業台は英国製。
 本物のミシンは、来航したペリーが嘉永7年(1854)に江戸幕府に贈呈し、その後、篤姫が使用したとされる。
 特別展ではほかに、黒船の模型や来航時のジオラマなどが展示されている。ミシンの展示は5月17日まで。

彦根駅東口に駅前広場完成、29日イベント

 彦根駅東口の駅前広場がこのほど完成し、彦根市は3月29日に開設式とまちびらきイベントを開く。
 駅東口では平成15年度から、約17万3000平方㍍にホテルや商業施設、マンションなどを整備する開発が進められており、同25年度に完了する予定。駅前広場は約5500平方㍍の敷地で、同18年度から整備が行われてきた。工事費は約1億6500万円。
 広場内は、▽ケヤキやしだれ桜、タチバナを取り入れた緑のロータリー▽舗装は透水性、保水性を考慮▽無彩色系を基調としており、「県東北部の中心都市の玄関口にふさわしい『顔』にした」としている。
 開設式後のまちびらきイベントでは、彦根東中吹奏楽部の演奏、Qちゃんによる大道芸、ゆるキャラビンゴゲーム。豚汁(無料)コーナーも。ひこちゅうや、がもにゃんも登場予定。

城西小児童が狂言演舞

 彦根市立城西小学校の6年生がこのほど、彦根城博物館で狂言の演舞を披露した。
 城西小では国語の授業で「狂言」を学習しており、今年は彦根伊呂波会(代表・小澤祥子さん)の会員5人を講師に招いて、1月から学習してきた。彦根城博物館での発表は初の試み。
 発表会には6年1組、2組の21人ずつが参加し、保護者と5年生が見守る中、これまでの練習の成果を披露。1組は女や姑にこき使われる男をテーマにした「濯(すす)ぎ川」、2組は出家を目指す元料理人と料理人を目標とする元出家の物語「惣八」を、それぞれ演じ、こっけいな内容に観客からは笑の声があがっていた。児童の坂口暁子さん(12)は「緊張したけれど、うまく演じることができた。昔からあった狂言について色々と勉強でき良かった」と話していた。
 

2009年3月13日金曜日

スパルタ式練習で初のセンバツ出場果たした藤居栄三さん

 昭和25年に彦根東高が初めてセンバツへ出場した時の野球部員だった藤居栄三さん(76)=中央町=に当時の思い出を聞いた。
 ―当時の東高の校風を教えてください
 ◇このころは漕艇(ボート)部が全国制覇するほど全国的にも知られていた。その練習は蒸気船と競争したりするスパルタ式で、野球部内の意識改革にもつながり、甲子園出場を果たせたのではないかと思います。
 ―甲子園にはレギュラーとして出場されたのですか
 ◇私は新2年生で、ショートを守っていましたが、先輩の高岡利彦さん(東高アルプス席で紹介)がレギュラーだったため、控えでした。最終の選考までベンチ入りできると思っていたのですが、センバツ開幕の2、3日前に当時ベンチ入りできた13人から外れることになり、甲子園ではアルプス席で応援していました。東高の勝利を願いながらの応援でしたが、何とも言えない複雑な気持ちもありました。
 ―センバツから帰ってからは待遇面も変わりましたか
 ◇専任の監督として早稲田大OBの方が監督となり、これまでは部内でバットが2本だったのが、部員1人に2本になったり、県営彦根球場が使用できるようになったり、財政的、練習環境面で改善しました。
 ―センバツへ出場する現在の部員に激励の言葉をお願いします
 ◇プレッシャーはかかると思いますが、結果を恐れずに精一杯がんばってきてください。

歴史的建造物の保存を 道路拡幅中の市道・立花線

 道路拡幅工事が行われている市道「立花船町線街路」(以下・立花線)で、開発対象の建物に文化財的に価値のある蔵や家屋などが含まれており、保存を求める声が高まりつつある。
 市は平成13年から、約460㍍の立花線の上下線に3㍍ずつの車道と3・5㍍の歩道、1・5㍍の停車帯を整備するため、用地買収や住宅の解体・新築を進めている。同20年に完成する予定だったが、財政難で開発が遅れており、市は完成予定時期を平成30年前後としている。対象の住宅77軒中37軒で用地買収が終了している。
 一方で、立花線は江戸時代、内町大通りと呼ばれ、鳥居本から城下町、高宮を結ぶメインロード的な役割を果たし、朝鮮通信使の一行も通ったとされる。いまも歴史的に価値のある蔵や家屋などが10軒以上残っており、以前から大学教授や市民らから保存を求める声があがっていた。
 市議会でも、立花線の道路拡幅工事に伴い、歴史的建造物が消滅する可能性についての質問が出ており、市は「文化財としての価値があることなど一定の基準を満たし、所有者の了承が得られる建物については、文化財指定・登録ができるようにしたい」と答弁している。
 今後は、立花線に残る歴史的建造物の保存に向け、曳家による移動などの方策を立案する必要があり、市の対応が注目される。

2009年3月12日木曜日

幕末~昭和初期の彦根、新修彦根市史・8巻

 彦根市教委は、井伊直弼の政治や幕末維新期の彦根藩、明治から昭和初期にかけての彦根をまとめた「新修彦根市史」(第3巻 通史編 近代)を発売した。
 新修彦根市史は平成6年に編集が始まり、同13年に最初の「第5巻 史料編 k古代・中世」が発刊、以降毎年1巻ずつ刊行され、今回で8巻目。同25年までに全12巻が作られる。
 「第3巻 通史編 近代」では、▽幕末維新期の彦根藩▽明治の文明開化と彦根▽日清・日露戦争期の彦根▽デモクラシーと恐慌の時代▽総力戦と総動員の時代―の5つの章に分け、幕末から昭和初期の彦根を詳細に説明している。
 「幕末維新期の彦根藩」では、日米修好通商条約締結の際、彦根藩では締結には天皇の許可が必要であると考え、直弼も勅許を得るために調印を延期していたが、米国総領事のハリスから英仏が軍艦を派遣するとの情報を得、やむなく調印を許可した―と説明している。 本には、ジャーナリストの田原総一朗氏が「私と彦根」、彦根史談会の中野修吾会長が「回想 わが白墨人生プラス彦根史談会」をテーマにした論述した別刷りの巻報も入っている。A5判、788ページ。5000円。市役所1階、支所・出張所、彦根城博物館、市内の書店で販売。注文は市教委市史編さん室℡0749(27)3544へ。

2009年3月10日火曜日

名勝・お浜御殿、今春から公開へ

 彦根市松原町の旧彦根藩松原下屋敷(通称・お浜御殿)=国指定名勝=が今年の春と秋に、1カ月間限定で公開されることになった。これまでは、市教委文化財主催のイベントで一部の建物に入場できるのみだった。
 お浜御殿は、文化7年(1810)ごろに十一代藩主・井伊直中によって約2万0881平方㍍の敷地に建てられた。奥座敷、台所、書院、5つの土蔵などがあったとされるが、現存するのは奥座敷と台所のみ。明治22年(1889)に大広間と玄関の2棟が増築されたほか、建築時期不明の門番所と長屋が残っている。
 全敷地の約半分を占める庭園は、琵琶湖と連動して水位が変化する汐入形式を採用した池を中心に、西側に緩やかな州浜、東側に築山が設けられている。しかし、江戸時代の建物を中心に壁の亀裂やはく離、柱の損傷、庭園の荒廃など早期の改修が必要なため、市は今年度までに約5560平方㍍分を公有地化している。
 新年度は、更なる買い取り費として来年度予算案に5億6451万円を計上、全敷地の約85・5%を占める約1万7846平方㍍を公有地化する。平成24年度までにすべての敷地を買い取り、建物の保存修理と植栽の整備、発掘調査を行う。その後、新たな観光ルートとして一般公開する予定。また、整備の完了までは今年からの「新緑の春」と「紅葉の秋」に敷地全体を無料で限定公開する。

城内の桜の保全活動に市民50人参加

 彦根城内の桜の保全活動が3月8日行われ、ひこね桜守のメンバーや県レイカディア大学の生徒など約50人が参加した。
 黒門から表門の内堀沿いにある約200本の桜の根元や枝先の真下部分に、直径15㌢、深さ10㌢ほどの穴をあけ、洗面器1杯分の肥料を埋め込んだ。また穴を掘るほかに、木の周りに溝を作って肥料を埋める方法も行われた。

国道を家が走行? 甲良町で曳き家工事「スクエア・フレーム工法」採用、西川総合建設

 甲良町池寺の国道307号線でこのほど、2日間かけて民家を移動させる工事が行われた。
 施工業者は全国で曳き家工事を手がける西川総合建設(長浜市・西川善蔵社長)。移動方式は建物を傷めずにレールを敷きながら重機で引っ張って移動させる「スクエア・フレーム工法」が採用された。
 甲良町では国道の拡幅に伴い、民家を約80㍍移動させる工事が行われ、作業員8人がレール造りと重機での牽引を繰り返し、「赤ちゃんがハイハイするほどのスピード」(西川社長)でゆっくりと移動させた。国道を民家と車がすれ違う珍しい光景に、マスコミやゲーム会社のほか、近所の住民も興味深く見守っていた。

2009年3月6日金曜日

定額給付金 彦根は4月下旬から支給、犬上は4~5月

 定額給付金の支給について、彦根市は4月中旬から申請書を送付し、下旬から振り込みを開始することを決めた。
 定額給付金は、1人あたり1万2000円、基準日の2月1日に18歳以下と65歳以上の人には2万円が支給される制度。世帯主に申請書が送られてくるため、それに金融機関の口座番号などを記入し、運転免許証(コピー)など本人と証明できる書類を添付して各市町村に返送する。2月1日に生まれた人や亡くなった人も住民基本台帳に載っていれば、支給対象になる。
 彦根市の場合、対象者は11万1787人。そのうち2万円が支給される18歳以下が2万1387人、65歳以上が2万1744人、残りが1万2000円の支給者。原則、金融機関への振り込みだが、希望者は市役所で受け取りもできる。世帯主と別居している人などへの対応については、「検討中」としている。問い合わせは市定額給付金等給付推進室℡(30)6135へ。
 犬上郡の支給開始日は、甲良町が5月下旬、多賀町が4月下旬、豊郷町が4月25日。

「赤鬼魂、胸に戦う」 彦根東高の激励会

 第81回選抜高校野球大会(センバツ)へ出場する彦根東高校の激励会が3月5日、市役所玄関ロビーで開かれた。
 若野哲夫校長を先頭に今井義尚監督や選手18人が入場すると、市職員から大きな拍手が起こった。激励会では、若野校長のあいさつの後、今井監督が「開国150年という記念の年に甲子園へ行かせて頂くことは大変な喜び。赤鬼魂を胸に精一杯戦いたい」と話し、江竜康成部長が選手1人ずつを紹介した。
 獅山市長は、「私は50年前に卒業して感激もひとしお。甲子園ではまずヒット1本、まず1勝という小さな努力を積み重ねてほしい」と激励。市長から校長へ激励金100万円分の目録が渡された。
 新谷直弘主将は「彦根だけでなく、滋賀県代表としての思いでがんばりたい。これからも応援をよろしくお願いします」と決意を述べた。

監督、部長を22年間歴任の杉野直さん

 昭和37年から同58年まで、彦根東高野球部の監督や顧問を務めた杉野直(すなお)さん(69)。当時の皇太子殿下(現・天皇陛下)に似ていたことから、「皇太子さん」の愛称で、いまも卒業生や野球部OBとの付き合いがある。
 ―もともとは東高出身ではないとのことですが
 ◇私は山口県出身で、昭和37年に新任の英語教員として東高に赴任してきました。そしてその年に部長になり、以降、野球部との付き合いが始まりました。
 ―当時の様子を聞かせてください
 ◇昭和37年は新校舎(現校舎)が以前のグラウンドに建設されたため、練習の場は現在の彦根城博物館のある広場でした。しかし、同じようにグラウンドの確保に苦しんでいた近江高校と交互に利用していため、満足した練習はできませんでした。この状況は校内にグラウンドが整備される1年間ほど続いたと思います。
 ―監督や部長を務められた22年間で強かった時期は
 ◇昭和40年の秋の大会で準優勝し、近畿大会でもベスト4に進出しました。しかし、1回しか戦っていなかったためセンバツ出場は果たせませんでした。翌41年の夏の大会でも準優勝し、気運の高まりに伴ってその年の10月に野球部の後援会が結成されました。
 ―平成17年には日本高野連から「イヤー オブ ザ コーチ」を受章されたとのことですが
 ◇これは私の功績ではなく、これまでの野球部員の代表として頂いた賞だと思います。(現在の監督の)今井義尚君や(部長の)江竜康成君も私の教え子でした。監督や部長をしていたお陰で、人間関係も密になりましたし、豊かな今があるように思います。野球部さまさまで、野球への感謝の気持ちでいっぱいです。
 ―現在の部員へ激励の言葉をお願いします
 ◇しっかりと練習をして、練習をしたんだという気持ちを持てば、バタバタしないしっかりとした野球ができると思います。

爆破予告、彦根市福祉保健センターに

 「福祉センター(正式には彦根市福祉保健センター)に時限爆弾を仕掛けた。爆発日時は5日正午。ただのいたずらかどうかは当日に判明するであろう」と書かれた手紙が4日、同センターに届いた。県警の機動隊15人と彦根署員30人が5日午前11時から2時間、警戒にあたったが、爆発は起きなかった。
 同センターによると、手紙はパソコン打ちで、宛て先が黒色、文面が赤色で記され、茶封筒に彦根郵便局の消印が押されていた。
 同センターは彦根署に通報した上で、5日は建物と、隣接する市社協事務所、男女共同参画センター「ウィズ」を閉鎖し、各施設の職員計約200人を避難させた。彦根署は、悪質ないたずらとして偽計業務妨害の疑いで捜査している。

花しょうぶ通り「戦國丸」で初の結婚式

 彦根市の花しょうぶ通り商店街のひこね街の駅「戦國丸」で3月1日、いしだみつにゃん、しまさこにゃん、おおたににゃんぶが出席しての初の結婚式が開かれた。

 結婚式をあげたのは大阪府内の男女で、同商店街で昨年6月に開かれた「勝負市」で出会い、戦国ファンという共通点が結婚へつながったという。花しょうぶ商店街では、3つのキャラの家来として約450人からなる「義の家臣団」を組織しており、結婚式には家臣団約40人も時代衣装を着て出席した。
 式典は新郎新婦を3つのキャラが挟み、戦国時代の儀式を取り入れる形で行われた。2人は「結婚できたのも、いしだみつにゃんなどがとりもってくれた縁だと思います。感謝しています」と話していた。

2009年3月3日火曜日

昭和28年に応援団長務めた正村公一さん

 彦根東高校野球部が2度目のセンバツ出場を果たした昭和28年に、彦根市芹川町の正村公一さん(73)は同志たちと応援団を結成し、団長として野球部を支えた。
 ―当時の東高はどのような学校でしたか
 ◇県第1中学校としてのプライドを持ち、運動で名を知らしめようという思いがあったように思います。野球部のほか、ハンドボールやバスケットボール、相撲部なども全国で活躍していました。
―応援団結成に至った経緯を教えてください
 ◇全校生徒全員でエールを送ろうと呼びかけ、約300人が集まりました。悔い無き青春を送ろうという思いと、愛校心の情熱が私たちを動かしたと思います。その中で私は、いい意味でおっちょこちょいで、お人好しだったため、団長になりました。
 ―甲子園ではどのような応援をされましたか
 ◇生徒、教員、保護者の数百人がSLに乗り、朝4時から3時間かけて甲子園に向かいました。私は応援団で作った一畳ほどの旗を精一杯振った記憶があります。アルプス席では校歌や応援歌、拍手が繰り返されていました。
 ―現在の部員へ激励の言葉をお願いします
 ◇学生らしく、潔い、凛とした態度で、さわやかさを忘れずに戦ってきてほしい。私も陰の応援団長として、アルプス席で応援したいと思います。

六反田遺跡で縄文時代の食料貯蔵穴と土偶

 県文化財保護協会は3月2日、彦根市宮田町の六反田遺跡から、縄文時代後期末(約3000年前)の食料貯蔵のための穴と土偶を発見したと発表。7日午前10時から鳥居本地区公民館で説明会を開く。
 平成19年から調査をしており、昨年度は約5587平方㍍で縄文時代後期前葉(約4000年前)から平安時代までの集落跡を発見。今年度は約3800平方㍍で調査をした。
 発見した食料貯蔵穴は、冬から夏の終わりまでの食料不足を補うため、当時の主食だったカシやトチノミなど木の実を備蓄するための設備で、計15基。穴の大きさは直径1~2㍍、深さ0・5㍍前後。当時の木の実もそのままの状態で1万2000粒以上残っていた。縄文時代後期末の食料貯蔵穴の発見は県内初。
 土偶は、豊穣などを祈る祭祀に用いられた土製の人形で、乳房などを表現しているため女性をかたどったとみられる。長さ12㌢、幅6・8㌢、厚さ2・5㌢。頭部と両腕、右足は欠損しているが、この時期の土偶は関西地方では2例目で、下半部が分かるのは初めて。
 京都大学大学院文学研究科の泉拓良教授は「西日本で食料貯蔵穴が集落脇の低湿地に作られていたことがわかった。当時の縄文集落と食料貯蔵施設の位置関係が明らかになったことは重要な発見」とコメントしている。

小泉紅かぶら、商品化へ 「かぶじぃ」も登場

 江戸時代に彦根市小泉町(旧小泉村)で栽培され、藩主にも献上された記録が残る「小泉紅かぶら」の漬物が、3月1日の開国フェスタで初披露され、試食品が振る舞われた。来年度中に商品化される。
 小泉紅かぶらは、井伊直弼も漬物を食して賞賛し、小泉の住民が競って作り、献上したと伝えられる。昭和初期まで地元で栽培されていたが、その後、姿を消した。
 地元住民らで組織の「小泉町八王子倶楽部」は小泉紅かぶらの復活を目指し、プロジェクトを立ち上げ、昨年9月には県農業技術振興センターが保存していた種を約900平方㍍の農園の約200平方㍍分にまき、12月に約700本を収穫。寒風干しした後、愛荘町の漬け物業者で漬けられていた。
 1日は20本分の漬け物が使われ、しっかりとした歯ごたえとあっさりした味付けに来場者に好評だった。また滋賀大学の三田村薫さん(23)が考案した小泉紅かぶらのイメージキャラクター「かぶじぃ」も初披露された。
 今後は、地元の春祭りで奉納、町民への配布、希望者への進呈、料亭や飲食店への提供などでPRし、来年度中に商品化する。

「彦根リキシャ」公道で走行へ

 彦根市河原2丁目のエコスタイル自転車店の竹内洋行さん(37)らが、彦根仏壇の技法を採用して開発した自転車「彦根リキシャ」の出発式が、3月1日の開国フェスタの中で開かれた。3月中にも公道を走行するという。
 彦根リキシャの座席部分は、高さ約2㍍、幅約1・2㍍で、屋根を除いてほとんどが木製。手すりには彦根仏壇で用いられる漆塗りを施し、サイドにはよしずを垂らし、席には畳を敷いている。大人2人と子ども1人が座れ、前につながれた自転車で引く形。「リキシャ」は、インドやネパールで走っている「サイキルリキシャ」に由来。
 竹内さんが「彦根産の製品を取り入れた独自の自転車を作ろう」と思い、県立大学人間文化学部の印南比呂志教授らに相談。県大生や彦根仏壇の職人、建築業者らが加わり「開発プレジェクト」を立ち上げ、昨年3月から制作してきた。昨年11月に長浜ドームで開かれた環境メッセで初披露された。 今後は市や彦根署と協議した上で、3月中の運行を予定している。ドライバーも募集中。問い合わせは竹内さん℡090(3261)5803へ。

センバツ出場の彦根東高校で壮行会、全校生徒で応援歌

 センバツ出場を決めた彦根東高校の体育館で2月27日、選抜旗の授与式と壮行会が開かれた。3月6日午後5時半からは市役所で激励会も行われる。
 野球部の選手とマネージャーの計51人が、全校生徒約1000人と教職員が拍手する中、入場し登壇。授与式では、主催の毎日新聞社の代表から若野哲夫校長へ、校長から新谷直弘主将へ選抜旗が渡された。
 続いて行われた壮行会では、江竜康成部長が1人1人を紹介し、新谷主将が「センバツ出場が決まったのはOBや在校生の皆さんのお陰。僕たちもがんばるので、これからも応援をお願いします」とあいさつした。
 また、若野校長は校章が刺しゅうされた赤色のはちまきを巻いて、全校生徒と一緒に応援歌を熱唱しながら、エールを送っていた。